子どもが少ないと耳にしていますが、驚きです。
牧之原の勝間田小学校の課外授業で諏訪原城の見学会に同行できるという機会をいただきましたので昼過ぎより金谷方面へ。
諏訪原城は最近はずっと二の丸前の巨大な「丸馬だし」付近の樹木伐採と堀整備を続けていますので景色は変わっています。
小型バスで乗り付けて現われたのは1クラスの30名ちょっと程度だったかと・・・。
その「便」のみで6年生全部という事を聞いて、「それほど子供少ないの?」という感じがした次第です。
生憎小雨がパラパラ、現地待ち合わせの島田市の学芸員の解説は小学生向きなのは致し方ないのですが、「子供は大事にしなくちゃ」と思って俄か引率者になり堀の淵を歩く際はケアしつつフォローしながら歩きました。そのくらいしか自分の存在価値は無かったですし、帰りも「なぜ?」と思いましたがバスの子供たちにに向かって手を振ってお見送りしてしまいました。
前回お知らせした通り、いつも史跡として「何かしている」感のある諏訪原城、着々と観光地として名乗りをあげるべく戦国の城への復活を遂げようとしているようです。
大井川岸の崖の木々が伐採され、この丸馬出しと大きな堀が完成しただけで、かなりの見物となりましょう。
まだまだ未解明の部分の多い諏訪原城はスケールも特大で、すべてのエリアの改修が終了するには気の遠くなるような日数と経費がかかるでしょうが、これだけの歴史的資産を持つ旧金谷町、島田市に羨ましさをも感じてしまいます。牧之原市も勝間田城を活性化の財として上手に生かせればいいのですが・・・「今一」といったら私の如くで失礼ですが、鎌倉御家人あがりの国人、勝間田氏では少しばかり見劣りしてしまうのは仕方無いですね。
諏訪野原には勝頼(武田)に家康に氏真(今川)まで入っていますので。
「二の曲輪南馬出し」は現在進行形の発掘現場。
こちらから堀の土橋を渡った「二の曲輪東内馬出し」の発掘調査では鉄砲玉が14個ばかりと、掘立小屋の柱穴が出てきているとのことですが、こちらからはまだ何もなしだそうです。
地道な発掘作業が来年2月くらいの予定で続きます。
画像は「二の曲輪南馬出し」の外堀の試掘風景。堀の底辺を探るものですが、経年の土砂、土塁崩壊の土砂も含まれると思いますが堆積物が層をなしているのがよくわかります。
樹木は遺構各所に立ち、その処理が調査の進行を阻んでいます。慎重に慎重を重ねて、樹木の根周囲から掘り下げて行きます。もし何かの遺構が隠れていたならば樹木を引き抜いた瞬間に壊れてしまうからです。
遺構に樹木を生えさせないしっかりした「管理」が不可欠ですね。これらのように大木が生えまくっているほど放置されていたわけですね。
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