遠州の方言で形容詞「みるい」を知らない人はまず居ないでしょう。雰囲気的に「どちらかといえばイイ意味」と「どちらかといえばワルイ意味」二通りありますね。
前者でいえば「柔らかい 新鮮」といった爽やかなイメージ。後者でいえば「未熟 幼い」といった未完成のダメを意味します。
「海の松」と記して「みる」ですが、海藻の一種です。
この海松(みる)の色ということで「海松色」という色の種類があります。
私たちは幼少の頃使用したクレヨンや絵具の種類にそのような名称はありませんでしたので、耳に馴染みがありませんがこの「海松色」は歴史的にはかなり人気のある色ですし、「海松―見る」と連想したり和歌の掛詞として、折々登場してきます。
一部貴族の衣の色として使用されたり、慶事等おめでたい場の色として重宝されていたようです。
一説に遠州で「みるい」という形容詞があるのは、人々が海藻の海松の色を予め認識しているところに茶の耕作が始まって、新茶が初めて出た頃、その色や茶として葺いた新芽の柔らかさと海松色のお茶の色を形容して「海松の如し」と感じ、「みるい」という言葉の発祥となったと。ということは当初は「新鮮」という意味だったのでしょう。
ここで、お取越しでもその海松が出てくる昔話をしましたので紹介いたします。よくやらかす間違いの中、時には結果的にイイ方向に出るというお話でした。
今昔物語の30-11です。
摂津に検分に出た某「受領」(平安期の下級貴族―管理領地の現地責任を負う役―ずりょう)のお話。彼について「情趣に深い」という伏線の記述があります。
若い彼女と古女房との二人を掛け持ちする彼は、出張で摂津へ。海岸を進むと、海松(みる)が付いた珍しい蛤に目が留まります。
これはこれはと「若い方」にプレゼントすることを思いつき、下男の童に「彼女に持って行け」と使わせました。
ところが童は届け先を古女房に間違えてしまいます。
後日、男は「新しい彼女」の所に行って「蛤と海松はいかが」と聞けば、話は通じずここで大間違いに気づきます。
彼女は「蛤は焼いて喰えばうまいし、海松は酢ものにすればこれまたうまい・・・」と。今すぐ取り返してくるように言いますので使いを再び出しました。
古女房の方も「どうせそんなことだろう」と思っているところに使いが来るので、「海松付きの蛤」を包む紙に和歌をしたためました。
その和歌が
「あまのつと おもはぬかたに ありければ
みるかひもなく かへしつるかな」
受け取った彼は情趣深いこの和歌を味わい若い彼女の発言(食い意地の張った)にいよいよ幻滅して、古女房の良さを知ることとなって、元の女房の許に戻った、という話でした。
あまのつと 「海のおみやげ」 「天から授かった」
おもはぬかたに 「しらない干潟」 「思はぬ人」
みるかひ 「海松貝」 「見る甲斐」
このような歌が詠めるとはキレ者の奥さんという感じも覗えます。
画像は海松色というか翡翠色の牧之原深蒸し茶。
熱くても冷やしても最高です。
コメントをお書きください