「突き進む」のは山城というのが私の趣向ですが、先日記しましたようにこの時期さすがにあ奴だけには遭遇したくありませんね。
出来るだけこの時期、登城者が「私独り」というような山城への登攀は避けたいと思っていますが、勝手な楽観論として近江では琵琶湖の西か東によって、判断しています。
特に比叡京都側(西)はまず「OKだろう」で、湖北から湖東にかけては敬遠というところでしょうか。伊吹山から福井方面にかけては特に嫌な感じがしますね。
小和田先生の京都での講習会は午後2時からでしたのでその日の午前中は早朝より湖の西、大津宮界隈をブラついていました。
思い付きだけで方向転換しますので、行きたいところは数あれどたまたまこちらに行こうとその日に決めたのでした。
ロクな下調べをせずに向かったため、近江神社に辿り着いたのですが私の登頂したかった山はそのブログ画像②の錦織の広場や神社社殿の上に見える宇佐山です。
この山に登るためにこの神社に向かったのですが、登城口はこちらではありません。目的地はテレビ塔が目印ですが登城口はこの神社には無く、逆方向に回り込んだ宇佐神社(場所はここ)の方でした。
この辺りは先日記しました新羅善神堂(三井寺)とも関係がある地域です。善神堂は足利尊氏の寄進による社殿といい源頼義が奥州に起こった前九年の役、後三年の役に向かう前に戦勝祈願に訪れているように源氏には切っても切れない神だったわけです。その故、源家に朝鮮半島渡来人の血が入っていることが推測できるわけですね。以下紛らわしいので頼義以下記します。
清和源氏河内源治略系図
清和天皇
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源頼義
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義光 義綱 義家(八幡太郎)
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義清(武田) 義業(佐竹) / 義親 義忠 義国
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為義 / 義康(足利) 義重(新田)
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為朝 義賢
義朝
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(木曽)義仲 義平 頼朝 範頼 義経
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義高 頼家 実朝
また源氏といえば八幡神ですね。治暦元年(1065)に源頼義が建てたという神社がこの宇佐山の中腹にある宇佐八幡宮です。
⑤の礎石は社殿の奥にありますが、明治時代に発掘された柱石。
表面に焼けた痕があって戦国期の戦火によって八幡宮が焼失したあとではないかと言われています。
また参道途中には源頼義が八幡宮創建の立地検分の際、この岩の上に鳩がのり、この地に決めたといういわれがあります。
沓形があって「神示」であると称し「御足形」の掲示板に記されています。後世、頼朝が鎌倉に建てた鶴岡八幡宮の原形であり、名物「鳩サブレー」の発祥ですね。
⑧図は近江宮から下ってきて道路上のクランクの様子。
宇佐八幡の案内板を見つけて感動したところです。
⑨~⑫が車載カメラのもの。まさに「まっしぐら」で道を横切るり降りていく獣3頭。数日前にイノシシの出没で人が襲われているというニュースがありましたが、あの勢いで突進されたらクマに次いで「たまったものではない」ことです。
これも徒歩で出くわしたくないですね。彼らの「突き進む」というそれのみに徹したパワーは私の比ではありませんので。
さて画像⑬⑭。
「番場の歴史を知り明日を考える会」ご担当者様からのご案内が届きましたので紹介いたします。
12/14日の講演会には是非行ってみたいものですが、果たしてどうなるでしょうか。
鎌刃城と言えば名神高速下のトンネルに獣除けのネットが施されていますね。私も鹿の家族と出くわして彼らのダッシュして逃げるその状況に度肝を抜かされたことを思い出します。
湖東となるので少し怖いですが、12月ならば何とかなるでしょう。
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