昨日の太田道灌の「山吹」の現場は「武蔵野の野」とありました。「武蔵野」というと旧神奈川県人の私のイメージとしては南武線沿線(武蔵小杉~武蔵溝の口)辺りから東京都区そして埼玉南部です。東京近郊の「里山」と変化した『武蔵野』について国木田独歩が褒め称えていますがそれと同様の地域感だと思います。
武蔵野とはやはり東京近郊という感じですので「大都会近く」です。初見は万葉集で、そこで歌われる内容は殆ど「荒涼とした大自然」―「寂」です。
「人は地球を壊すために生れた」と言った人がいるそうですが変わりに変わったものです。
当然の事だとは思いますが、当時の人々はそのような場所には必ず「月」を持ち出します。よって「むさしの=月の美しい場所」と人々はその名を耳にするだけで思い起こしたことでしょう。
何せ「野っ原の夕べ」に似合うもの、ホッとさせるものは「月」以外無いでしょうね。
「めぐりあはむ空ゆく月の行末もまだ遥かなる武蔵野の原」
芭蕉も
「武蔵野の月の若生えや松島種」
やはり月の美しい松島の「月の種」が芽生えたのが武蔵野のこの月なのか・・・という意味でしょうか。
ということで先日訪れた京都大谷大学博物館の展示物、仙台市博物館所有の狩野探幽筆「伊達正宗甲冑騎馬像」を。
「 出づるより 入る山の端は いづくぞと
月にとはまし 武蔵野の原 」
と正宗の自筆の和歌が貼りつけてあるもです。
騎馬上の正宗の冑の前立てが「黒い月」、旗差物が「日輪」です。
この前立てと旗印については「性山公治家記録」(伊達家正史)に正宗の父輝宗が正宗の誕生の際(永禄十年)に記した
「 日輪ヲ以テ御旗ノ紋トシ給ヒ 日ノ丸ト名ク
是金剛界ニ象レリ
半月輪ヲ以テ御冑ノ立物ニ製シ給フ 半月ト称ス
是胎蔵界ニ象レリ 」
伊達家のスタンダードがここにあったわけです。
ちなみに大坂夏の陣の正宗は「黒い月の前立ての冑」だったとのこと。
コメントをお書きください