「蓮如上人御一代記聞書」の「耳慣れ雀」について、蓮如さんは「この歌を御引きありて折々仰せられ候ふ」とあるように、事あるごとにこの比喩を持ち出して語ったといいますが、その意はなかなか的を射ています。
「慣れ」とか「漫然」は恐ろしいことです。
一言で言って人間の性(さが)なのでしょうが、その症状が進むと「なぁなぁ」と「高慢」になって、気が付いた頃は「時すでに遅し」となることを、よく耳目にしてきました。
昔から「調子をコイて」鼻高々にしている者が足元を掬われるという姿は案外部外者にとっては面白いものです。
以前にも記しましたがスワローズファンだった私は、~「だった」という過去形は既にプロ野球に面白みを感じなくなって数少なくなったテレビ放送には見向きもせず、その勝敗の行方など興味の外となっているから~とうにその「万年ビリけつ」の醜態のバカバカしさから「どうでもイイ世界」に突入放置していました。
しかし殆ど独走断トツの出来レースと思いきや土壇場でこうも大方の予想を裏切る結果となるとは「勝負はわからない」という単純な理由だけでなく、大勝負に対するチームにはその「対峙の仕方、心構え」というものも実力以上に大切であってその微妙な差が結果として大きく左右するのではないかと感じたものです。
夜のニュースで見た、相手打者の頭にぶつけて退場した投手、あの御仁は倒れ込んでいるバッターを見向きもせずの帽子も取らずの姿はすこぶる横柄を感じてしまいました。
一つのプレーですべてを括ることはできませんが、あの選手の性質(たち)があのチームのすべてだったと思えば、「なるほどね」と思うばかりです。結果というものを決定付けたシーンだったような気がしました。
逆に一方的な力の差を思わせるが如くの連勝で優勝を決めたチームの方はというと、胴上げもせず、あのはしゃぎ過ぎの感があるビールかけもしないという姿に意外な感動と好感を得ました。
このような事は人間世界、政治家世界等にも通じることですね。今頃になって昔話の如くアホらしいトンチンカンな素人様話がニュース番組を演出しています。
私もサラリーマン時代から経費の建替えをすることは多々ありましたが、各「領収書の項目」について「通る筈無い」ものの類はわかりますし、私利のために経費を使うことが御法度であることくらいの頭はありました。
あの人たちは何時まで経っても成長できない人種、職種なのですね。「反対チーム」の方々はさぞかし「メシがうまい!!」と食がすすんでいることでしょう。まぁ足の引っ張り合いの世界でボロを出した方が負けの世界ですから。
今しきりに注目を浴びている女性大臣さまお二人、お粗末このうえなく、ただの傍観者から見ても失笑をかうところです。
鳴物入りでポストをあてがった意図も「無理」を禁じ得ませんでした。
さて、蓮如さんの「御一代記聞書」は蓮如さんの死後、弟子達が上人の言行録を写しだし(316箇条)て記されたものですが、「南殿にて」と蓮如さんが語った場所についてそう記されています。
南殿(なでん)といえば御所の紫宸殿のことを言いますがこちらは「山科本願寺」のことです。
本願寺は応仁の乱が終了した文明十年(1478)に造営が始まって3年程度で御影堂と阿弥陀堂の完成を見たそうですので、それには相当の資力と動員力を垣間見る思いです。
それら伽藍の東側に蓮如の隠居の地となる「南殿」が作られたといいます(場所はここ)。
位置的には粟田口の外側、街道筋としてはやはり要害の地だったわけです。
画像①②③は現在の山科本願寺跡に建つ東別院と④お西の別院。
以下図像は京都御所の紫宸殿。
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