16日の朝の画像、続きです。本日は私の懐メロについて。
9月初旬に新宿中央公園にてデング熱の発生があった場所で、各所にフェンスが置かれ注意書きが目をひきました。
まさかあの冷え込みの中、例の蚊には出くわさないとは思いましたが、少しばかり不安でした。しかし他にもたくさんの人たちが公園で体操をしたり散策したり思い思いの自己のテーマに従がうように蠢いていますので、もっとうまそうな人間の血はいくらでもあるだろうと思いつつ、ただし足早に歩いていました。
私の新宿の思い出の最初は、大学入試の合格発表日に、自分の番号を確認しつつ、ニヤリとしながら入学案内をもらい、同行してきた「奥の墓道」を連れて歌舞伎町に出て映画を観た事からですね。勿論、気分は高揚、太っ腹になって私のおごり。つまらな過ぎる大ハズレの映画ではありましたが、晴れて大学生になれたいう希望に満ちて、すべてが許容できる状態でした。
この街はハッキリ言って今となっては嫌な街です。
ドロドロとした欲望の渦巻く繁華街、歌舞伎町は私たち田舎からやってきたおのぼりさんにとって「唖然・呆然」は当然、極度の個人主義、利己主義、拝金主義、無慈悲、犯罪行為等々、社会というもの、それもそう無意味なことばかりを教わりました。
異様なツインタワー状のあの建物の主でさえ、「あの様-サマ-」でしたことは記憶に新しいところ。
どんなことにも「満たされることが無い飽くなき欲望」というイメージが臭う街でした。
ストーンズの「Satisfaction」の
「I can't get no satisfaction」というフレーズを聞いて、若さからかその「ガツガツ感」に感銘を受けていました。
車の免許を取ってから、若者の趣向は大抵「車」。私もその方向にありました。
当時トヨタ×日産の露骨に自社優位を標榜するCMがありました(私の事で恐縮、今となっては殆ど興味が無くなりましたが以前は相当車に凝っていました)。
厳しい排気ガス規制の中、何とか生き残ったトヨタセリカGTのDOHCエンジンに対し、ライバルだったスカイラインはGTとはいいながら(GTとは簡単に「俊足の称号」)SOHSという吹き上がりの悪い鈍足(L20)シングルカム(SOHCはSingle OverHead Camshaft、 DOHCはDouble OverHead Camshaft~ツインカム~でカムが1つか2つの違い)であり、その点をトヨタは足を掬おうと揶揄したものでした。
CMでは確か「羊の皮を被った狼」がセリカで、その相手、名指しはしていませんでしたが明らかにスカイラインの事を言っているコメントが「名ばかりのGT」。
「名ばかりのGTは道をあける」などと今では考えられないような挑発的なものでした。
そのCMの背後に流れていたのがストーンズの「Satisfaction」だったことを確かに記憶しています。
ガキんちょの単細胞のお頭には何とも衝撃的、セリカに憧れたものでした。そのセリカを駆りまわして新宿渋谷辺りをチャラチャラしていた時代のあった私は大いに反省し、息子にはあのバカ騒ぎのトーキョーより京都の学校に行ってもらいたかったのでした。
「走る」と言えば、Bruce Springsteenに「Born To Run」等、多くの楽曲に題材とされています。
Springsteenの詩をあらためて聞いているとまさに「青春モノ」、この齢になると聞いていられなくなりそうですが、清四郎や浜田省吾辺り、和製ポップス陣がこちらやストーンズを意識していることがよくわかります。
彼にも「満足できない」、常に幸福感を得られずに「彷徨うが如くの私たち」(根なし草)を歌ったものがあります。やはり「不満足」~「I can't get no satisfaction」についてですね。
ちなみに「不満足」と記せば真っ先に無量寿経の中の「三誓偈」(重誓偈)の冒頭、阿弥陀仏の一番目の誓願を思い起こしますね。
我建超世願 必至無上道 斯願不滿足 誓不成正覺
如来さんの「I can't get no satisfaction」でした。
私にとって「Hungry Heart」(ライブより詩を・・・)など懐メロの際たるものです。
「Everybody's got a hungry heart」のフレーズは心に残りますし「Ain't nobody like
to be alone 」~独りぼっちでイイ奴なんていない~を聞くと少し悲しくなってしまいます。
私の父は病院で独りぼっちで死んでいきました。みなそうです。現在独りで住んでいる老人はたくさんいます。
歳をとったら尚更人恋しくなるものでしょうね。
さて、無量寿経の一節を・・・。
人在世間 愛欲之中
獨生獨死 獨去獨來
當行至趣 苦楽之地
身自當之 無有代者
「人 世間の愛欲(人情・煩悩)の中にありて
独り生じ 独り死し 独り去り 独り来たりて
行に當(あた)り 苦楽の地に至り赴く
身 自らこれを當(う)くるに
有(たれ)も代わるもの無し」
寂しくも人と生れたからには「そういうこと」なのでしょうがね。「その時」までただ走り通すだけです。
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