人は「耳なれ雀」になってしまうもの  ですから

父親が買い取って遺した新墓地は以前は数件の長屋が建っていました。ちなみに業者が廃棄先をケチりユンボで大穴を掘って廃材を投棄して整地したため、それが墓地の沈下する原因となりました。画像①前方左方向が長屋跡の新墓地。

 

叔父が言っていましたが昔は台風といえばそちらの長屋の人々が避難場所として本堂に布団を持参して雑魚寝したそうです。

現在の様に台風の進路等の情報が少なく、寺が公共施設の如く開放されていた時代です。昭和20年代後半頃のお話でしょうか。

 

標記「耳慣れ雀」について。

これは「羮に懲りて膾を吹く」の逆の意としてもいいのかも。

たいそう危険なことへの防御の姿勢について、人は当初は身構えて万端怠りなく用意するものですが、それがばんたびあって、たまたまそれらの経験に於いて自身に大きな被害が無かったりすると、往往にして気が緩んできます。

「どうせ大丈夫だろう」と。

 

「耳慣れ雀」は蓮如さんの「蓮如上人御一代記聞書」の174に記されています。短いので記します。

 

前々住上人(蓮如)

「おどろかす  かひ こそなけれ  村雀 

                                   耳なれぬれば  なるこにぞ のる」

この歌を御引きありて折々仰せられ候ふ

       ただ人はみな耳なれ雀なりと仰せられしと[云々]

 

「耳慣れ雀」は私たちの事。

「雀たちを驚かして追いはらう鳴子の音も、今では効き目がなくなった。 耳慣れの雀たちは、もはや何のことも無く鳴子に乗るくらい」という意ですね。

 

ここでは有り難い御説法も耳慣れしてくると有り難く感じ取れなくなってしまうという事を仰っているかと思いますが、毎度毎度のリスクをリスクと感じられなくなるという意にも取ることもできます。

「鳴子がダメ」となれば相手は次の手段に方法を拡張することも考えられますし・・・

 

という事で、修繕した襖が本堂に入ったということもあり、雨戸の戸袋上部の破損個所(画像①矢印)を修繕しました。

この箇所から襖までは目と鼻の先です。南から風雨が吹き込めば「ひょっとして」と思い、着手した次第です。

これまでは放置していた懸案の箇所でした。

ついでにコンパネを2枚買い入れ、安価なブルーシートで包み込んで特に「危険を感じた箇所」にねじ止めしました。

18号の通過時にはこちらから雨水が浸入しましたので。

 

お役人さんの保身なのかやたらくたら避難勧告を出しまくって早々と休校宣言などが出ていますが、「ここまでやるか」とも思います。

先日も気象庁が「弁解」していた火山の噴火の如く、被害が出た後から「なぜ避難させなかった」と怒られるくらいなら、さっさと避難について広報してしまった方が枕を高くして寝れることでしょう・・・などと言うのは少々穿っていますね。

外は温かい空気が漂っていますが、案外朝からイイ天気かも知れません。学校はお休みと聞いています。

 

「膾を吹く」ことは無意味と笑いのネタにされるものですがまぁ、こういう事はそのくらいの心持で物事にあたれば「無事」で済ます事ができるのでしょう。