朝のNHKはニュースのあとに黙っていればそのまま連ドラに突入し何気ともなくボッーとしていれば毎度その15分は過ぎていきます。
時代劇もそうですが、セットの中で仏壇が登場することは珍しいことではありません。
その中であの放送局ならではの使い回しなのか、見栄えとして最適なのか、私の知る限り真宗系の金仏壇が使われています。
武家の設定だったりすると禅風のお飾りが適していると思っても金仏壇だったりするとついうれしくなってしまいますが考えてみると江戸期も戦国期も武家=禅のイメージがありますので若干の違和感を禁じ得ません。
連ドラの場合も「家庭の中」が主ですので仏壇(真宗では御仏)は中身があまりわからない程度に出てきます。
私はやはり金仏壇を見ればその中身に興味が湧いてしまい、本尊や脇掛けの軸に目が向いてしまいます。設定が広島ということで安芸門徒(お西)をまず考えますね。
同じ「金」でもお西のものか、お東かもストーリーに関係なくその時ばかりは凝視してしまいます。
昨日は金仏壇を前に一同参列、そこへ坊さんを招くという談でした。坊さんがテレビに出ればこの番組で無くともとりあえずはそれまでの仕事をとめて見入ってしまうのは致し方無いところでしょう。
番組では青系の衣で剃髪の坊さんが出てきました。
この段階でシチュエーションとしては真宗は関係ないと思いきや、お勤めの経文(偈)は仏説無量寿経の中から抽出された「三誓偈」(お西では「重誓偈」)でした。時宗でも「四誓偈」と言って呼び名は違いますが耳に聞こえてくる字句は同じもの。
内容も「阿弥陀如来の誓願」で上記以外の宗旨では使用されていないものですね。番組の坊さんは木魚を終始仕様していましたが当流はそもそも木魚の使用はありません。時宗系でも木魚は使わないと思いますが私の誤りでしょうか。
放送局の番組内で使用する仏壇や僧侶そして読経など「雰囲気だけでどうでもいい」「適当」のイメージが先行しているのかかなり出鱈目さを感じますね。
以前3月に「官兵衛」で放送された石山本願寺のシーンで阿弥陀如来と釈迦如来を間違えて新聞紙上まで「お詫び文」②を入れていたことは記憶に新しいことですが、いやはや昨日の坊さんのシーンに少しばかりお寒い雰囲気がしたのは私だけではないでしょう。
一部の人間しかわかり得ないことかも知れませんがその「三誓偈」、2度繰り返していました。数ある偈や経の中、一番短く終わるのがこの偈文で、まず僧侶は参列者の数を見て焼香が続いているのに早く終わることは間がとれません。よって別の長めの偈を読誦するかそれをゆっくりめにすすめるのですが、同じ偈を繰り返すなどはそうありませんね。
また、当流ではあの手の法事では御内佛に拝読するものは「正信偈」が主です。私は「三誓偈」については墓前のお勤めか火葬場と決めていて、法要をコレで済ませたら手抜きでクレームが出かねません。超ハイスピードで詠めば1分かからないほどですから。
思うに、しっかりしたストーリーで物語を進めるのなら仏壇、坊さん、勤行に関しては少々考証していただければ真面目さが取れますし気持ちよく拝見できるのですが。
だいたい真宗では僧侶の事を「和尚さん」とは呼びませんね。手抜きをしているところでもありましょうか。
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