芦之湯東海道双子山麓 巨大五輪塔は曽我兄弟の墓

小涌園から芦之湯温泉を右に見て双子山の麓を精進池方面に向かうストレートは車のスピードがついついあがってしまう場所です。

よく県警のおまわりさんが飛び出してきたのを目にしました。天気のいい日の午後は特に注意ですね。

 

停車させられた車両を横目にしながらスグ双子山に上る道(確か通行不可)が現われた辺り、左手に異様に大きな五輪塔があることは小田原、箱根を生活圏にしている人にとってお馴染みの光景です(場所はここ)。

 

以前に小田原曽我の城前寺にて曽我兄弟の墓を紹介していますが箱根山中とはいえこの東海道という街道筋に古くから~永仁三年(1295)の銘~建っているものです。

大きさは高さ2.5m、無造作に並んではいるものの圧巻の大きさです。

 

決して良好とはいえない環境(寒暖の差、凍結、湿潤、排気ガス)にあって自然崩壊の兆候も余り見当たらず、既に700年もの間ここを通る通行人を見守っているというその時間と容姿の重厚さもあいまって驚かされることです。

 

曽我兄弟の仇討についてはあまりにも有名なお話ですので各自お調べを。

 

この墓石の前は駐車スペースになっていて数台なら余裕です。

この場所に車両を停めて精進池周辺方向の磨崖仏に宝篋印塔などその他遺物を巡る事ができます。

 

2つ並んだ五輪塔が曽我兄弟のもの、右に離れた五輪塔が曽我十郎祐成の彼女(妾)、虎御前のものといわれています。

前述の鎌倉期を記す銘はこちらです。説明書きには「地蔵講」と呼ばれる信仰集団によって建立されたとありますがこの「地蔵講」という銘が刻まれているものとしてはこちらの五輪塔が最古と記されています。

 

画像⑤⑥には「宝篋印塔残欠」と掲示板にあります。

観応元年(1350)の銘が基礎石に刻まれていてその古さも残存状況も一級品。

若狭国の伝説上の人「八百比丘尼」の墓と言われています。その伝承とは「人魚を食べて不老不死になった女」というものですが、ここに墓がある理由等詳細は分からないようです。