「待ちぼうけ」はもっとも幼い頃を思い出す 

白秋が滞留した小田原伝肇寺を中心にして小田原城総構(そうがまえ)沿いに、小田原市が殆ど無理矢理名称したような「白秋の道」には、白秋の著名な歌が所々に紹介されています。

 

 「無理矢理」とは随分な表現ですが、あまりハッキリとはわかり難い小田原市の命名したその道を歩いて、途中のみかん畑の農家の人に声を掛ければ、「そんな道、あったかどうだか・・・ホントに白秋が歩いたか知らねぇなぁ」と仰るものですから、「まぁそんなもの」でしょうと思って私もそんな表現を使用しました。  

 観光客用の演出ですね。私が居た頃にはそのような道の名は聞いたことがありませんでしたから。


 もっとも小田原ならではだったからなのでしょうか、今も全国の幼稚園や小学校低学年で白秋の童謡が歌われているのかわかりませんが、私の頭の中にはとにかく「からたちの花」はずっと残っていてこれからも決して消える事はないでしょう。


 その歌に次いで私が白秋といえばおそらく幼稚園の頃とさらに遡って耳にしたであろう「待ちぼうけ」を思い起こします。

「愚か」に陥る歌詞の中の主人公が反面教師となって「そうではいけませんよ」と幼稚園の先生が話してくれたような図をうっすらと思い起こします。あまりにも遠い昔のことで私の勝手な想像力でそのような場面が脳内で構成されてしまったのかも知れません。


 この「待ちぼうけ」は現代の会社経営者にとってその指針にも通じるものかある中国春秋・戦国時代の「韓非子」(かんぴし)の中の「守株待兔」(しゅしゆたいと)にある説話から来ています。どうやらその意味も当初のものと時代が経ったものしは違うようですね。当初は「臨機応変に動け」が主眼だったそうですが、「ラクして(人生を)過ごそうと思うな」という風に。


 幼稚園児には勿論後者の方が説明しやすいですが、私にはその当時は「兎を食す」というイメージが湧かなかったため今一つピンときませんでしたが。「死んだウサギをどうするのだ」と・・・。


 さて、大河ドラマ「徳川家康」を今一度、の静岡の期待と同様に以前から小田原には初の大河「北条早雲」(伊勢宗瑞)を期待する声があがっていましたね。待てども待てども北条早雲は採用されません。まさに「待ちぼうけ」です。

以前にも記しましたが、「北条早雲」は存類中その名を名のっていず、大森氏から小田原を奪取したあとも北条氏綱に小田原を任せて自身は韮山城に籠ったままでしたから「北条早雲」という名前も歴史的に見て首を傾げてしまうは、小田原という地より殆ど駿河中心に動いていた頃の方が軍師的策士のキレのいい彼の存在を描けますので「小田原の北条早雲」ではこれも無理矢理になりかねませんね。


 よって彼を描くに面白そうな大河ドラマのタイトルとしては「今川氏親と伊勢宗瑞」がイイですね。これもいつもの勝手な思いです。

しかし、そうなれば宗瑞の晩年となる小田原はあくまでも「付録」になってしまいますね。


 ①②とも「白秋の道」にて。