前回の訪問時にはすでに9/7の吐月峰柴屋寺再訪は決めていました。
昭和11年から当時の静岡市長の声掛けから始まったといわれるお茶会の催されるその日は同時に庭園が公開される日です。
そして今年の「中秋の名月」いわゆる「十五夜」(旧暦の8月15日)は9/8でこのお寺さんにとっては何かと1年で一番期待に胸が膨らむ時期だと思います。
あいにくと月見には不適というか、天気は曇りの予報。
しかし、ここの月見は天気のことは「おまかせ」で、月が雲に隠れてしまったとしても「中止」などと野暮なことは言いません。それは満月に近い(微妙に満月とはかぎらない)キレイな月を愛でることは風雅でこれ以上ない贅沢でしょう。
しかし、こちらの「月見」というものは月のお出ましするまでの間の「時の過ごし方、楽しみ方」=「待月」にあるといいます。
月が東の山の端より昇りはじめ、池にその姿を映りだす頃まではしばらくの間はスタンバイしているのですが、そのベストタイミングまでは「余興」にて時間を過ごすという楽しみがあるのです。琵琶や能楽に興じ、茶の湯を嗜みその時を「待つ」のです。
茶室(茅葺)⑨は奥になりますが、この日は客が入りきれないほど。以前拝観した時は、この茶室の入り口で頭を打ったことを思い出しました。私でさえも「頭を下げ」なくては入室できないほどでした。⑧は茶室を通して北西側、天柱山が見えます。
月の見方は、庭の西にある⑤「月見石」に腰掛けるというのが第一義。ちなみにこの石の真裏に宗長と宗祇の墓⑫⑬⑭があります。墓石は五輪塔と宝篋印塔のパーツが混ざっている様子。「積み方と部位」について「不思議」です。
「月見石」に座れば当然に東の方角が正面となります⑥。
現在バイパスのトンネルが通る山になりますが、その山の端から月が周辺の木々や竹の風にそよぐ姿と併せ見てまるで山から吐き出された月が、木々の動きによって月が移動しているように見て趣を感じたのだそうです。あるいは月見石近くの池の水面に映る月を観賞したといいます。
⑩は手向槙と記されていましたが家康のスポンサーとしての意思表示だとのこと。今川家が亡び、荒れるに任せるほどになった寺を修復し、維持そして寺領安堵の約束の表明ですね。
⑪は宗長木像(前回画像あり)の下にあった、石ウス。これで宗長が京都から取り寄せて繁殖させた茶の葉を引いて抹茶を作ったといいます。
⑮は「是心是仏」の扁額。
昭和11年に始めた茶会に合わせて当時の静岡市長が寄贈したそうです。
この言葉は「是心作仏 是心是仏」、観無量寿経からですね。
よって「仏」とは阿弥陀さんのことですが、こちらのお寺は臨済宗でご本尊は十一面観音とのこと。
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