籠城軍3000対攻城軍75000の大差は要害であって籠城用の物資さえ整えてあれば案外長期戦に持ち込めば持ちこたえられるものなのだ、という例でしたが、結局は集中力の欠如でしょう幕府方の陶山(すえやま)義高率いる陶山一統による風雨夜陰の笠置山への一番乗りに内部崩壊、一気に守備陣崩壊、総崩れという憂き目にあいました。
総合力の差はケタはずれでしたが、要害振りに圧倒されて、手をこまねく攻め手というものは長期戦に持ち込まれると逆に不利な部分を露呈します。
勝つことは当たり前という余裕による慢心と現実の攻めあぐねる時間の消費です。
早期決着を意図して意気揚々と着陣したとしても、もたもたとして前が進まなければ指揮もダレぎみとなり、状勢がどう変化するか先も読めなくなります。
ましてやあのときの如く籠城しているのが「天皇」であれば尚更でした。
そして一番の心配が75000の兵糧です。人数が多ければ多いほど決着が早くないと命取りになるものです。
そこで打開策を建てたというのが幕府方。
決死隊を組織して成功した陶山(すえやま)義高は後に後醍醐天皇方が優勢になった時、六波羅探題の北条仲時を救援のため再び挙兵しますが、時代の流れは「討幕」。あの近江番場の蓮華寺で一族ともども自刃しています。
各所に下からあがる敵に目がけて転がり落とす石を用意していたといいますが、「あんな物」を転がされたのではたまったものではありません。
巨石の上に這い上がれば木津川や木津川橋が直下に見ることができます。⑧は伊賀上野方面。
この笠置寺境内には「笠やん」という猫の墓があります。
下の駐車場から境内地への案内役として観光客を導いたといいます。平成六年の冬に亡くなったそうですが、ご住職による墓碑と墓がありました⑬。
山を通路通り行きつづけるのは結構不安になりますが、何処か「大変な場所」に行きつくことはありませんのでご安心を。
「本丸」域へは絶景の巨石からの風景を楽しんだ後、石と石の狭い通路(矢印)を通過してからです。
階段の上が⑫となって現在は柵で囲まれています。
元の道を戻ることなく階段を降り切ったら一番左側の道を辿ればスグ、「笠やん」の墓の上に出ます。
⑭の画像は石に空けられた意味不詳の円形の穴。
⑮は笠置駅前のモニュメント? 弓が足助重範、笠置山名物の巨石を振り上げているのが怪力、本性房です。
既述ですがあの戦乱まではこの山に奈良東大寺に匹敵する伽藍が立ち並んでいたといいます。皮肉にも天皇を受け入れたために悉く焼失してしまいました。
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