現在当山本堂の御内陣と下界を仕切る丸尾月璋の襖絵は修復作業中。
どちらかでも記していますが、大谷派の本堂ではまず大抵、このようなお内陣の仕切はありませんので、同じ宗派の目の肥えた方から御指摘を受けるところでもあります。
平成元年に先代主導で行った本堂内修理ではこの襖たち8枚を丁寧に梱包し京都の工房に送っていました。
ところが気が付けば綺麗になったはずの襖はクラックが発生したと思えば徐々に広がり出し、特に平成21年8月11日の早朝に発生した駿河湾を震源とする地震では大いに揺さぶられて破損がさらに広がってしまいました。
地震後の修理は屋根、耐震等の外まわりが優先されたため放置されその後もずっと見苦しい破け襖を晒していました。
その襖絵8枚をどう低予算で復元を為すかがテーマだったわけですが、「安くて腕のいい経師屋が近くにいる」と、お世話になっている刀剣研師兼神主の中村氏のご紹介がありました。襖の作業に入る前に当家の掛軸の表装直しを依頼していましたが、それら満足の行く仕事をされていました。
このほど牧之原市の補助金(50%)も確定したことから着手依頼の運びとなりました。
ちなみに残りの50%のさらに50%が某財団の力添えがあって当山の支払負担が減るとのことです。よって当山負担額は総額の1/4で済ますことができます。
また、その残金額の支払いはプール金で行われますので檀信徒さまの新規の負担をお願いすることはございません。
近いうちに相良で丸尾月璋展を行いたいと教育委員会の方が言っていました。
この8枚の襖を両面から見る事の出来る展示方法を検討中とのこと。
さて、「経師屋」というと時代劇を思い出しますが、古くから経師といえば坊さんの仕事ですね。
いわゆる写経、またはそれを職とした人のことを呼んでいますので、書が上手な人だったわけです。
ところが「表具師」と混同または同一の職業と理解されるようになって特に「経師屋」というと隠語として怪しげな意味を持っています。今風にいえば「ストーカー」とでもいいましょうか・・・
先日北側の4枚が仕上がって教育委員会皆様立会いの下、搬入作業があり、出来栄えを確認したところです。
工房にも伺って作業状況を確認させていただきましたが絵を剥がしてみれば下地に貼りつけられた紙は例に漏れず、古い証文系古文書でした。とても興味があるところですが、こればかりは剥がして見なければわからないところですし、まず大抵は無意味なモノが多いというのが定番ですので仕事の邪魔になる前に退散いたしました。
尚、襖の裂け目は「こうぞ和紙」3枚重ねで補修しているそうで、少々の湿気乾燥にも耐えうると太鼓判。③が修理前⑨が完成です。大金叩いて何でもかんでも京都の業者さんに送るという風潮がありますが、まったくリーゾナブル。
地元にもこのように立派な仕事をされる方がいらしたのでした。
⑦の図は裏面になります。普段皆さんの目に触れない絵ですが、地味な色彩ながら蓮華が描かれて御内陣らしい絵です。
私はいつも暗い中にてこれらを目にしていたのですが金粉が振られている部分はてっきり雨漏りのシミの跡と思っていました。
明るい場所で見て、「悪くない」とあらためて感じたところです。
⑩の襖の金物をよく見ると中にフック状の工作がありますが房を掛けるためのものです。
南側の4枚を作業に搬出しました。襖が無いと案外スッキリしていて、これもまたイイ感じでした。
イイ仕事をされる表具師さんですが跡継ぎがいないそうです。
やはりその手の仕事自体少なくなって魅力が無くなったということでしょうか。
それでも「何かあったら自分の生きている限りフォローします」と良心的。うれしい言葉です。
襖そのものの良さも評価していただきました。特にあの当時あれだけの絵の具を用意できるということ、「丸尾月璋」はタダ者ではなかったと。
掛軸、屏風、襖等の修理依頼ありましたらご紹介いたしますよ。勿論当方への謝礼は不要です。メールにてご連絡ください。
台風の動き次第では気を引き締めてかからないと酷い目にあいそうです。ガッチリ対応していきたいですね。
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