どこの地でも似たりよったりだと思いますが、この夏当地では「変なオジさん」の出現が頻発しているようです。
「変なオジさん」の概念とは何たるや。
要は普通に「知らないオジさん」のことでしょうから、当然に私や友人の「奥の墓道」などがどこかの墓地でウロウロすれば十分にソレでしょうね。
まあ、その面々の方、目的がそれとは違うようでして防犯メールには27日、28日続けて「不審者情報」が流れています。
それら「事件」は早朝のこと、「その人」の姿は身長170㎝ジャージ姿とありました。
28日も静波墓地へ「出勤」途中、朝から150号線「波津」の交差点より海岸方面へ入る道は封鎖されていました。
刑事らしき人まで来ての物々しい近隣聞き込みの姿を目撃しました(画像①)。
そういえばこの海沿いの道は数年前にも事件がありましたね。
松の林沿いの道であまり人気が無い場所でもあります。
当山墓地裏の土塁の脇の道にも以前、「不審者情報」があったそうで、木々の中や「墓地に不審者」というのは定番のようです。
昔から夏の墓地といえば肝試し。
おどろおどろしい「不明」な怪物が隠れていているという想像力がその怖さを引きだたせているのてすが、現在の「墓地の怪物」はやはり「人間」のようですね。
そういうわけで梅雨明け以来私が時間が空けば通っているのが静波、「バロー」の裏、当山管理の静波墓地です。
毎年夏季に二度程度草刈と除草、植木の刈込に行ってしましたが、今年はあまりにも墓地周囲の「カイズカ」が茂って酷いということで気合いを入れて剪定しています。
形などは気にしない作業です。要はこの辺りは通学路ということもあり、遮蔽的空間を街区に設けることへのマイナスを意識してのものですね。
当然に「変なオジさん」が木の裏に隠れたり、植栽の中がゴミ捨て場と化すことを防ぐことが目的です。
一回行って軽トラ満載でその日の仕事はおしまい。
この墓地でそのオジさんたちに「かくれんぼ」をさせないための「スカスカ」をするにあと2、3日分の仕事が残っています(画像⑥)が、枝(根)切り挟みと鋸の連日の使用で私の肘がそろそろ限界になっています。
茶碗と箸を持つのも辛いくらいで、陽射しの暑さよりも肘痛の方が何ともキツイ!
久し振りでしたからそんなものなのでしょう。
近所の方が見回りに来て、「(あなたはよく見かけるが)お寺の人(住職)が来ないね」と苦言を頂戴しました。
要は知らない顔は皆変な「オジさん」なのですね。
年に数回しか行かなければそうでしょう。
正体を明かせば「これはこれは」と恐縮されていましたが、私はその手のことは慣れていますから全然気にしていないと・・。
むしろ「坊さんらしくない」という言葉は「褒め言葉」としていただいております。
また、その日は別の家の奥さんも出てきて、冷たい飲み物の差し入れをいただきました。
その冷えた代物に心がホットになるというワケです。
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小山昭治 (火曜日, 29 7月 2014 08:40)
バローの裏にそのような管理地があるとは知りませんでした。
ミカン畑の件とか墓地の草刈りとか手伝いが出来ればいいのですが、腰が重いし、肉体労働は普段やり慣れてないし・・・
などと言い訳を考えてしまいます。
少しは手伝いをした方がいいかなとは思っています。
朝の捕り物もびっくりですね。
知り合いが女性に助けを求められ、あげくは自分のズボンを脱いではかせてやり、警察の事情聴取で犯人扱いのようにされ、
さんざんだったようでした。
田舎でも変なやつはいるんですね。
今井一光 (火曜日, 29 7月 2014 12:05)
ありがとうございます。
そのような物語が現場で繰り広げられていたのですね。
驚きました。
しかし、警官の疑いに満ち満ちた事情聴取は、目に浮かぶようですが、その状況を想像すれば致し方ないとも思えます。
当人にとっては笑う所では無いのですが、吉本興業のネタのようなシーンでしょうか。
110番通報で駆けつけて「ズボンを履いていない人」が居れば真っ先にしょっ引かれるのはその状況無理も無いところでしょうし、下手をすれば犯人に仕立てられる可能性もあったかも知れません。申し訳ないのですがつい笑ってしまいました。
外で気軽に子供に声を掛けるのもタブーになったような気がする昨今です。誰もが知らない人は「不審者」の目で見る風潮もおかしな時代です。
バローの裏の旧駿遠線軌道の道路沿いにある墓地は廃寺となった大谷派のお寺の所有地で5~6年前に当山に編入されました。
墓地だけに「ぼちぼち」作業していますので、お手伝いに関してはお気持ちだけ戴いて、御礼を申し上げます。みかん山も作業より日焼け大会のようなもので、この季節に声を掛けたとしても誰も来られないでしょう。前回のみかん山の草刈では私は両足、漆かぶれに遭い3週間ほど痒みでのた打ち回りました。たしかあの時、「漆にかぶれたことが無い」と豪語している私がありました。すべてに於いて懲りました。