駿府城の坤(ひつじさる)櫓は静岡駅から(ここ)見て北口ロータリー前から国道1号を渡って県庁方面に進み、県庁の敷地を突っ切ればスグ目に入ります。
途中「江川町」という大きな交差点を通過しますが、その五叉路を普通に右折して行けば(北街道)駿府城の鬼門として守護することを目的に置かれた愛宕山城や「寿桂尼」の菩提寺、竜雲寺さん他たくさんの寺寺に当たります。
各各場所等は左側のブログ城址・墓でお調べください。
その江川町交差点を「普通に」ではなく「鋭角に」右折する道が伝馬町通りです。
実際車両でもってここを右折できるかどうか失念しましたのでご注意ください。
その伝馬町通りが旧東海道で江戸時代、駿府のメインストリート。当時は旅籠屋、大店が連なっていたそうです。
その江川町を右に行った辺りというのはその昔、「新静岡センター」なる建物があって、私が中学2年3年の頃(1年は小田原)は静岡に映画やコンサート等の何かしらのイベントがあって詣でた時は必ずそこを立ち寄らなければなりませんでした。
その建物が静鉄のバスターミナルでしたのでそこから出発する相良行、御前崎行のバスに乗車したものです。
ちなみに今はわざわざそちらに行かなくても駅北口から発着しています。また、御前崎行は今は廃止されているかと思います。
駅から遠く不便さを感じたものでした。いつしかその建物は遠い記憶の中に葬られていたのですが、2011年に東急ハンズが入るバスターミナル兼複合商業施設「新静岡セノバ」となりました。
新装後のその施設に何度かブラついていますが、江川町を「普通に右折」してからの駐車場入庫は警備員が居ます。さらにそちらからの「右折」入庫について却下されますのでこれもご注意を。
当初は国1から回り込んで左折しての入庫をしましたが、それが面倒でこちらの駐車場の使用を辞めました。
デパ地下(松坂屋・伊勢丹)目当てなら駅の近くの駐車場で十分です。足も使わなくてはね。
さて、その鋭角に曲がる旧東海道、伝馬町通りを江川町から進入してスグ左側「ペガサート」という建物前、バス停近くにその碑が建っています。
何しろ人・車の往来も激しく、建物等もゴチャゴチャしていて普段でしたら余程注意深く歩かなければ目につかないほどに「埋没」しています。
この建物の東側の端、旧東海道から裏のセノバ前の通りまでのうなぎの寝床風敷地が松坂屋源兵衛屋敷跡です。
江戸無血開城の立役者御両人が面談した場所として歴史上著名な地ですね。
そちらの掲示板をそのまま写せば
「西郷・山岡会見之地
慶応四年(1868)、江戸に向け駿府に進軍した有栖川宮熾仁(ありすがわみやたるひと)親王を大総督とする東征軍の参謀伝馬町の西郷隆盛と徳川幕府の軍事最高責任者勝海舟の命を受けた幕臣山岡鉄太郎(後の鉄舟)の会見が、同年3月9日に、ここ松崎屋源兵衛宅で行われた。
この会見において、徳川慶喜の処遇を始め、江戸城の明け渡し、徳川幕府の軍艦・武器の引渡しなどが合意され、5日後の3月14日、江戸・三田の薩摩藩邸で行われた勝海舟と西郷隆盛との会談により最終的に決定され、江戸城の無血開城が実現した。
明治維新史の中でも特筆すべき会談に位置づけられるものである。」
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