「法要」という字についてまじまじと「解読」すれば本来の意としては亡き人に対する追善の形式よりも、厳然と「仏の教え」についてその「要点を知る」ことにあります。
当たり前といっては当たり前の事なのですが、それが未だに故人についての「没後の心配ごと」を解消するための手立てと解釈して、その法事を開催することによって故人の道は開け、成仏でき、自ずからすべてのことが丸く収められるものであると半ば強迫観念にとらわれているが如くの方がいるようです。
中には近所の目とか、親戚がうるさい、(占い師に)見てもらったら法事をしろと、最近殊についてない、病気になった、怪我をした等々「正直」にそう仰る方までおられます。
法要は「脅迫」されたり、誰かに背中を圧されて嫌々行う物では無いですね。
最近の私のスタンスとしてはそれでもかなり鷹揚になったと思っています。
入寺してスグの時などは気持ちもガチガチで、参列者御一同の法要に対する入れ込みというかその姿勢がいい加減風だったり嫌々さ無理矢理感満点風が前面に思いっきり出ていたりすると、こっちのノリもついついネガティブになりがちになったものです。
やはり参拝者側から法要に対する気合いが入っている事を感じられればこっちの方もそのように気持ちが引っ張られていくものですね。
私にはずっと反省すべき点として今そういう機会があるのなら是非赦しを乞いたいと時々思い出す事があります。
私がそういう精神状態にまで至った詳細・経緯は記しませんが(「若気の至りだった」といえば躰がイイのですが)、先方の所作に腹に据えかねてしまい、法要が終了したあとの法話の際、不満をぶちまけた挙句
「早々にお引き取りいただきたい お付き合いはこれを最期にしていただきたい」と言ってのけ、布施をも突き返したことがあります。
お勤めが終わるまでの間、気もそぞろ、悶々とそんな思いが熟成し、最期の最期になっての舵取りでした。
施主は状況を察してさっさと捨て台詞を残して退席しましたが、申し訳なく思ったのはその親戚御一同でした。
何度も「コレだけは」と差し出されましたが、一度断った布施を戴くワケにはいかずにその時は徹底固辞しました。
そこにはいよいよ意固地になっている私がありました。
布施はそもそも私が頂戴するのでは無く、あくまでも「仏様へ」ですが、そのメッセンジャーとしての御役も辞退したいほどの状況だったということです。
以後、不覚ともいえるこの「若さ」を反省し、一部周囲の人にこのぶっちゃけ話をしてみれば、皆異口同音に「いいんじゃない?」とは言ってくださいますが、親鸞さんだったらこういう時はもっとうまいこと諭すことができるのだろうと、自分の力量の貧しさを悔やんだものです。
さて「要」=「かなめ」ですが、元々扇子のパーツ名。
坊さんは「中啓」という儀式に使用する扇を使います。この「要」と呼ばれるパーツが壊れたり外れると酷くみっともないことになりますね。
「要」は扇の各骨をとじ合わせて根本の部位に穴をあけてはめ込む釘のようなパーツで当然それが外れれば「バラバラ」。
最近の普及品はプラスチック製の「要」が使われていますが、金属製の方が高価だったと思います。
まぁ数珠の紐が切れた時のインパクトよりはまだマシですが。
扇についてあと一つ。清沢満之についてブログにて記しましたが、あの当時自身を客観的に見て自虐的に銘々をする人が目立つような気がします。正岡子規もそうでしたね。
清沢満之は自身のことを「臘扇」(ろうせん)と。
「臘扇」といえば清沢満之であって彼の法要を「浜風臘扇忌(ひんぷうろうせんき)」言っています。
「臘」は季節の語。師走の事で臘日=大晦日を指すこともあるようです。そういうことで「12月の扇子」が彼の好んだ名。要は「役立たず」ということです。挫折に挫折を重ねてそのような境地に達したことは十分に察せられますが、少しばかりユーモアと余裕のようなものも感じてしまいます。
画像は使い込んでいる法務用の中啓②。着座する際に床に「放り投げる」ヤツです。よってスグ傷む。そしてお気に入りの扇子①。
②矢印が「要」①の「要」は金属製。
中啓では涼は求められませんので扇子は夏の法要には必要なグッズです。
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