日本左衛門が処刑された遠州「三本松」の仕置き場、「遠州鈴ヶ森」について以前記しましたが、本家本元、お江戸の泣く子も黙る「仕置き場」でお馴染み、鈴ヶ森処刑場です(場所はここ)。
お江戸では「悪いことをしたらこうなる」という「仕置」はドシドシ公開して社会へ抑止のメッセージを出しました。
東海道の中間地点にある遠州鈴ヶ森の仕置場も街道筋に設けられてやはり「見せしめ」も意図されていましたね。
1600年代中頃になると幕府の厳しい政策により大名の改易等で浪人が増え、江戸への流入が始まったあたりにこちらに仕置場が開設されたのです。
江戸への流入者は不穏分子であり、治安悪化の要因となって市中に犯罪も増加傾向。人口が増加すれば犯罪が増えるということです。
奉行所管内で斬首した首も獄門台の上に晒し、磔刑・火刑の罪人はこちらまで引き廻してこの場で仕置された罪人の数は推定で10万とも20万とも。
詳細記録、出所も名前も縁者も無い、無数の無名の罪人がこちらで命を絶たれたといいます。
きっとまともな裁判など無い時代ですのでイイ加減な裁定によって無慈悲に刑を処された人がたくさんあったことと思います。
当時の処刑場は今の車両が頻繁に通過する国道15号線(第一京浜)辺りにあって、道路の建設とともにその遺構は仕置場に併設された大経寺さんの境内地に移されたといいます。
丁度旧道が第一京浜に交わる三角地帯にあって、現在はコンパクトな敷地に石碑等が並べられているという感じです。
此の地の近くには京浜急行の駅「立会川」という駅があります。
「処刑場に立会川」、一種独特の響き。その地名の名残、ただならぬ別れの寂しさの様なものを感じざるをえません。
以前はこの川にかかる橋の名を「泪橋」と呼んでいたそうです。
現在のこの地は御存知のように競馬場と競艇場の近隣となって、人間の欲望に付随する悲喜こもごもが交錯する場でもあります。
画像は④仕置場前、第1京浜神奈川方面⑤日本橋方面。
⑥旧道から見た仕置場遺構。⑧は首洗い井戸。
⑨「火炙(かしゃ・ひあぶり)台」には円形の穴が空いていますがこの穴に鉄製の柱を立てて罪人を括りつけて足元に積まれた薪に火を点けたと。
⑩は「磔台」。角材が立てられる角穴が空いています。
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