今ある墓石についてどうのということではありません。
当大谷派の「静岡地域教化センター」が御門徒様が建碑する墓石について「真宗」にふさわしいものとは何だろうと寺院用のコンセンサスを計る意味で作った資料があります。
①「死」について「死亡」という語の使用はストレートすぎますので真宗的な別の語に変換すれば「命終」「往生」「還浄」のようになりますね。
要は墓碑も浄土真宗の教えに沿った文言にしていこうということでしょう。
②まず、疑問もありますね。建碑者の名を何故赤くするのか?
これは石屋さんのサービスです。
ところがどうしても論拠に乏しいものがあります。
「生きている人だから」という回答が真っ先に返ってくるのでしょうが、「皆やっているから」そうしておけば無難であると思うのでしょう。
この世界、他者との違いを嫌いますね。
しかしその大元がオカシイ情報から発展しているのなら訂正していきましょう。
人は大安吉日等、日の良し悪しを気にしたりしていますがコレ仏教には何らの関係も無いこじ付けです。
つまらない迷信によって自らに制約をかけていくことも皆さんお好きです。よって「吉日」に建碑したと記すのも意味なし。
「朱色」の慣例は本来「戒名」に記すものと聞きます。
御存知の通り真宗では「仏の名のり」は「法名」と呼びますので「戒名」とは違います。
その両者、世間では相当混同しているようで殆どの在家の方は「法名」を「戒名」と呼んでいます。
同じように「名」が付いていることで雰囲気としては似ていますが真宗の考え方からすればまったく違う感覚です。
カンタンに言えば「戒律へ従うことへの宣誓」(行)が付随するから「戒名」で、「戒律がハナから無くて仏(阿弥陀)の教え(法)に従う宣誓」(信)が付随するので「法名」と考えれば話は早いです。
よって「戒律の有無」という点で全く違うものとなります。
その件は真宗の真宗たる由縁となりますのでそのちょっとしたこだわり、呼び名の違いも宗旨的には一歩も引けないところとなります。
朱色は「戒名」に記すものでしょう。
「訂正の朱」という言葉がありますが、この「朱」には「違う」という意思が入ります。
要はまだ仏門に入っていない、使用していない、死んでいないという意味ですね。そこで亡くなったら朱を抜くことになります。
「名前」に朱を施す習慣など元々は無かったのでした。
「戒名」にならともかく俗名に「朱」はまったく無意味な事ですね。どこかで間違った伝承がされて今、戒名も法名も一緒くたになったというところです。
しつこいようですが真宗は、「戒名」ではなく、また生きていても亡くなったとしても「法名」を名のりますのでそこに生死の区別はありません(平生業成)。
そして法名の名のりとは「仏弟子です」の表明でもありますので生きていながら仏弟子になることでもあります。
よって、わざわざ「朱」にする必要は無いのです。
とはいいながら私の墓の、私の名前は朱色になっています。
あの時は横浜から電話で石屋さんに情報を伝えただけだったのでそのようになってしまいました。
問答無用で「朱」が入っているのでもはやどうでもイイというところです。
③墓石(竿石)正面の水鉢は真宗的にいって「不要」です。
亡き人が「喉が渇くから」という講釈があるようですが、私たちの宗旨は浄土真宗、浄土は浄水が溢れんばかりの場所で、喉が渇くなどというのは世俗の勝手な計らいです。
また、御内佛もそうですが、当然にお茶、水も供しません。
石屋さんが持ってきたものに水鉢があっても水を入れません。
④建碑者の名は墓石の側面にして裏面には墓誌として亡き人の法名等を記します。法名誌等を脇に建てても可。
⑤お供えは基本的に「お花」「蝋燭」「線香」の3点セット。お酒、食べ物等のお供物も可ですが、必ず持ち帰ることがマナー。ご自宅等で「御下がり」として食することが功徳です。御内佛と同じです。
置きっ放しにしたらその場が鳥獣等によって「乱れ汚れる」要因にもなってしまいます。
⑥墓石に水を掛けることに意味はありません。
却って石を痛めます。真夏の熱い時にかければ割れの原因にもなります。水はお花入れ水入れの水の交換にお使いください。汚れを落とす場合は絞った雑巾で拭いてください。
⑦墓碑の銘は「南無阿弥陀仏」「倶会一処」「骨塔」と当境内には目立ちますが、他に真宗経典から選ぶのは可。「〇〇家」は花立に刻みましょう。ちなみに当山では「快楽安穏」「功徳大宝海」「壽壌」が見えます。
⑧もし選択できるなら墓石前にセットで入る線香置きは屋根飾りの無い平らのものをお願いしてください。
焼香の際、その上に焼香皿を載せられて便利です。
⑨焼香皿は寝かせられて排水性のいいステンレス製のものがおすすめです。同様のモノが周囲にたくさんありますので裏に名前を書いておきましょう。
⑩真宗に塔婆はありませんので塔婆立てのオプションも勿論不要です。
当山の古い墓碑、「骨塔」はそのものズバリ。
「壽壌」とはとても真宗らしさを感じます。
今は相良に見えない屋号(「間屋」)が記されています。
御存知の方がいらしたらご一報ください。
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