鰻を食することを庶民に気軽に流行らしたといわれる平賀源内について記しましたが、鰻ほど同じ素材を使っているにもかかわらず、お店そのものによって、提供される個体差によって、店を訪れる時間によって、大きく味覚の変わる食べ物は無いと思いますね。
近江、大津「瀬田の唐橋」の 山形屋重右衛門など、関西方面ともなれば殆ど「違う食べ物」の感があります。
岡崎教務所に用事があれば「はせべ」(場所はここ)のパリパリの食感を楽しみに暖簾をくぐったりもします。
本当に「所変われば・・・」です。
当地はかねてから浜名湖や大井川という鰻の養殖地(産地)が近いこともあって、鰻の看板が目立つ場所です。
上記の様に同じ地域でも味の違いがモロに出ますので、まったく好みが分かれます。客の好き嫌いもハッキリするというものです。
近年、シラスウナギが獲れなくなったことから価格が高騰してこの食べものが高級料理の仲間入りと相成り、滅多に口に出来ない縁遠さを感じるようになりました。
たまたま全国的にシラスウナギが不漁であった中、何故か相良萩間川を中心にその周辺河川では豊漁で、「俄か長者」(お小遣い程度と謙遜されていますが)が出現したとも聞いています。
夜陰に乗じて各所から集まった違法採取の輩が警戒している当局にお縄を頂戴した話など地元ならではのひそひそ話がありました。
しかし今年はシラスウナギの取引価格が、昨年から一転して急落しているそうです。
昨年は300万円/1㎏前後だったそうですが、今年は漁獲高が戻って、今のところ80万円前後と約3割の水準まで低下したとのこと。こりゃ良かったと思っても不思議なのは、お店で今度はそれだけ値下げされるかというと違うのですね。
さて、私のその食べ物に対しての所感をさらに記せば、静岡県内のうなぎのタレはハッキリ言って激甘に感じます。
私は浅草だの上野だの江戸前のそれを時として口にしましたのでその甘さに関しては相当違和感があります。
そして同じ店でも「水抜き」も「甘い」のか、酷く生臭かったりしますね。
鮮度の件と調理のタイミングもあるのかと思いますが、どういう理由か「ゴム系歯触り」の食感などもあって顔を顰めるということにもなります。
店を出たあと「外した」と苦笑いしてお終いですが・・・
こういう事が「日によって味が違う」という現象に繋がっているのかと。
これらは厳しいようですが「手抜きなのかなぁ?」とも思ったりします。どうしても競争が激しくて客が分散し、利益率が期待できない当地は、その手の色々が見受けられるような気がします。
「好み」と言ったらそれもそれでお終い。
想像の世界。私が、かねがね思うその時、病床にて「最後の晩餐」があったとして、その最後の一口を口に含ませていただけるという猶予と贅沢が許されるのなら・・・日本橋三越地下1階の「いづもや」のうなぎですね。
持ち帰りの弁当もありますよ。温かくなくても十分おいしいですね。
当地のうなぎにありがちな「皮」の存在感も無くふっくらとした食感で、タレも醤油系ベースであっさり系です。
ただし、今となっては日本橋まで行く用事は殆どありませんので次点として、私の準地元、小田原の「松琴桜」を所望したいところ。
小田原方面に行く場合はまず、「昼はここ」とイメージします(画像①)。
たくさんの思い出が詰まった店でもあります。
②画像は長篠の「うな喜」、いつも助手席で居眠りしているだけの「奥の墓道」はうなぎの奢りを「私が」と名乗り出てくれます。味の濃さは中部地方全体甘めでしょうか。
あくまでも人それぞれ、好き好きですが・・・
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