ご紹介が遅れましたが「木之本牛馬市」にて記したページの画像③④の情趣溢れる家屋は北国街道木之本宿の富田酒造の店構え(サイトはこちら)。
富田酒造の清酒「七本鎗」の存在は知ってはいるものの下戸の私は興味の外。
岩村城下「女城主」他、色々な場所で戦国時代に纏わる酒蔵に出遭いましたが、当初「これぞ土産に」と購入してはみるも我家も親戚にも「飲む人知らず」。
祖父以来この家から出た者でお酒を嗜む人を知りません。
盆暮れにやってくる「奥の墓道」も最近はドクターストップがかかっているようで自重気味の様。
よってお酒のお土産は無駄になってしまいます。
さて「七本槍」(お酒の方は「鑓」)とは言わずと知れた「賤ヶ岳七本槍」のこと(画像③は富田酒造HPより拝借)。
この「七本槍」の称号、数ある中(姉川、小豆坂、蟹江、上田、高鍋)、こちら賤ヶ岳の「ベスト」はその称号の中でも一番著名でもあります。クロサワの「七人の侍」もそうですがヒーローは七人揃えるのが「作法」のようです。
そもそもその称号は語呂がいいこともありますが、戦の勝ち組内での功労者、要は内輪での賞賛、讃辞する勲章のようなものとして使われました。
また、後世になってからそう呼ばれたり、大将が勝利を誇張するために演出材料に使ったりで、挙げられた本人も知らなかったり、むしろ固辞したいくらいであったりと結構イイ加減な選出もあったようです。
まぁ評価の基準も色々ありますし、そもそも現代の叙勲と同じで、一部の限られた人たちによるきわめて恣意的とも思わせるような選出もあったことでしょう。
殊に当時の功名というものには大抵がそれを評価する大将の感謝状(感状)と褒美の品が付き物でしたが、特に目を見張るような働きをして感状を受けた者という意味では違いないところ。
よってその戦いにおける功名の評価も分かれ、選出者7人(ベスト7)の功労の種類も色々、「次点補欠」なども時として選出され、また好みによって人が入れ替わるなどということもあったでしょう。
ちなみに私なら「七本槍」といえば「秀吉の勝利宣言」に使用されたに等しい「賤ヶ岳」よりも遠州高天神衆が大活躍した「姉川七本槍」のイメージの方が強いです。
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