そうとは分かっていてもやはり心配なのはロウソク立て(燭台)。
和ろうそくに関しては「絶対に消すぞ」という気持ちがありますので何とか自分の手で消火をしようと心がけています。
しかし、さすがに皆さんが焼香いただく本堂の焼香台には火力が強くてなかなか消えない和ろうそくは避けて、パラフィンロウソク(洋ロウソク)を置いています。
以前は畳には例の線香焦げ跡の「黒い線」が目立ちましたが、畳をキレイにしたあとに難燃シートを敷いたこともあり、今のところ「焦げ」はありません。
ということで念には念ということもあり、燭台をより倒れにくくするために真鍮製のベースを固定させましたので紹介します。
本堂でも年に数回はロウソクを点けっぱなしでその場を離れる方が散見されます。どうしても子や孫などを連れてくれば気も散漫になって消し忘れることもありましょう。
その際に何かの拍子で万が一燭台が倒れるなどの事も無きにしもあらずです。洋ロウソクの場合は転倒した場合は高確率でその衝撃で消えることが多いのですが、それでも消えずに他へ延焼することも考えられますので燭台の転倒のリスクを軽減するためと思って細工しました。
まぁ防災は色々な角度から検討する必要がありますのでそれでも「やらないよりマシ」でしょう。
そもそも「事故」というものはマズ「人間の本質」であって、うっかりというか錯誤によるものがほとんどです。
その点は人間の関わるものは「安全」では無いと断定できるあの事案から未だ解放されていないフクシマの姿が教えてくれています。
そこに私たちが海に関わって耳にして、また口ずさんでいた1/10000理論を思い出します。
「そんなことを聞いた事無い」という方もいるでしょうが、これは一言で言って「自然は激変する」ということです。
ただしこの語は少しばかり意味が違います。
どんなに穏やかで小さな波の打ち寄せる波打ち際であっても「1/10000回の確率で大波がやってくる」というものです。
私たちは海に出た時、30年以上前からその「冗談のような話」を真面目にしていたものです。
要は「必ずどこかで一旦は安定が壊れるのが自然界であって目前のものがいくら「安定」していても絶対に「油断」というものがあってはならない」ということです。
岩の先端に立った「重装備」の釣り人や小さな子供たちの波打ち際の磯遊びに「1/10000回」は過酷ではありますが、実際にその件が起こって「無いことは無い」ということは殆どの人は周知していましょう。
往々にして皆自分に迫っている危機が、現実的リスクとして感じ取られていないということでしょう。現状があまりにも安定していれば尚更です。
またそれを「偶然」という言葉に変えてしまえばそれまでですが、どのようなことにしろ自分の意思に反する「思わぬ事案」が何に於いても「つきもの」であるということを念頭に入れて行動する必要がありますね。
最近、つまらぬデコボコに突つっかかり思いっきり転倒して久し振りに痛い思いをし、ふとそのことを思い出しました。
さて、私としては焼香台の上にはマッチは置きたくなかったのですが、ご年配の女性陣より多数クレームが届いて、マッチとライターの両方を置いています。
理由は最近のライターの着火し難さですね。
今時の使い捨てライターは子供の悪戯防止やら誤着火を懸念してやたらと指に力を入れないと作動できなくなってしまいました。
本堂を参拝する方の圧倒的大多数でもある御年配者が「焼香できない」ではお話になりませんので昔ながらのマッチの存在は不可欠であったわけです。
そもそもローソクを設置したのも御年配者からの声でした。
線香に火が付きにくくマッチが先に燃え尽きてしまい「熱い」というもので、そのため下に落としてしまうというものでした。
画像③④は本来猫背であろうはずの、梅王丸の夏の風物詩、まるで「人並」の寝方。冬寒すぎて夏暑すぎる庫裏にて。
彼らにとって「突飛な事象」というものは「万が一」どころか5回に1回くらいの頻度で驚いている様子がありますが、それでもその割にまったくの「無防備」「無警戒」。ミスばかりの人間を身近にしても「安心」の姿の披露は殊に癒されます。
ちょっと恥ずかしいのでタオルを掛けてあげたくなります。
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