「葩」を蓮のはなびらが舞い降る様子を表すために、めでたい法要等で撒くことを記しました。
蓮とは違いますが先日迷い込んだ桜舞い降る近江坂本、日吉大社の近くに「生源寺」というお寺があります(場所はここ)。
「生きる源」と書いて「生源寺」。どんなお寺かと思いきや「生きる」ではなく「生まれ」の方が正解。
広野さんの誕生寺でした。なるほどこちらは比叡山のお膝元、そういうワケだったのですね。
「広野」とは伝教大師と呼ばれた最澄の幼名です。
南都六宗が有力仏教世界の主役だった頃、唐の天台山に渡ってそちらの教学を得て、我が国の天台宗の開祖となった人です。空海と平安仏教の双璧ですね。
近江のこの地も石塔寺付近と同様渡来人(朝鮮半島系)の集団が居住していたと云われ、最澄も渡来系(中国系 後漢の孝献帝の子孫 三津首―みつのおびと―)であったと云われています。
現在、日本国内で中国や朝鮮半島系の人々に対して差別的な対応を吹聴したりバッシングする風潮を垣間見ますが、当時は先進国の技術導入という意味で日本国はその流入を政策として進めていました。
彼らの持つ最新技術と文化の模倣無くして今の日本の繁栄は無かったというのが歴史の事実です。
西暦600年~700年代に今でいう「移民」を大量に受け入れ、仏教文化をベースとした「知識」を吸収して日本オリジナルの文化に繋げていったものです。
当時の日本の総人口450万人説、現在の1.2億人と比べれば極小、どう考えても日本の文化の中枢地域への、それもある程度の階級が保障された移民を考えれば、今の日本人、私たちの血脈には渡来系のDNAが流れていることは確定的の様に考えます(モンゴロイド)。
DNA云々と矮小な思考を特筆するのではありませんが、それらを鑑みても「大和固有の優性種」的アナクロニズムを鼓舞して他国、他人種を差別的な態度で罵倒することなど「痛い人」と呼ばれても不思議は無いところです。
さて、広野さんが生れた際(8月18日と云われています)、この地には蓮華の花が降ったという伝承がありました。めでたい兆候だったといいます。
しかし、こちらに起こったことはめでたいことばかりではありません。広野さんの産湯に使った井戸が境内にありますが、その向かい側の鐘楼の裏には、信長に殺戮された人々のものと伝わる墓石群が隠れるように佇んでおりました。
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