梵鐘に記される「正覚大音 響流十方」は、他にも目にする事がありますね。
大谷大学の図書館の名が「響流館」、そして最近よく催されることの多くなった音楽法要など、特に広く不特定多数の人たちに浸透させたい法要、イベント等にもその「響流」が使われています。
「響流」の読みは当たり前ですが、知らなくては「こうる」とは出て来ないですね。
過日ブラついた木之本(旧伊香郡、現長浜市 場所はここ)に「響流山 正覚寺」というお寺があります。
その文言は昨日記しましたように、浄土系経典を出典としていることが推測されますので、掲げられたその名を見て「阿弥陀さんかも?」とつい立ち止って確認したくなります。
見知らぬ土地を歩いていて、寺があればどうしても覗きたくなってしまう性分ですので、おそらくお寺の中の人は相当怪しんでいることでしょう。
浄土宗の正覚寺さんの門前は広い空地で大きな屋敷の跡、その向こうの山が賤ヶ岳です(画像③)。
屋敷跡の林の中には墓碑があって花が添えられていました(画像④)。
屋敷跡はゲートボール場?に開放されているようで、出入りは自由ですが、そこの藪と寺の門前を他所者の私がうろうろすれば地元の皆さんに訝しがられても不思議は無いところ。
そんな時は私は空気を真っ先に読んで、こちらから声を掛けることにしています、
たまたまそちらのお寺の代務住職さんとお話することが出来ましたが、門前でお寺の山号の「こうる」を私が口に出せば「おおっ!」と感動されてしまいましたので、「暇にしている真宗坊主です」と返答して、納得していただきました。
丁度この平地は信長亡き後の覇権を争った秀吉と柴田勝家の「賤ヶ岳の戦い」の激戦地であったことをお話してくださいました。
本堂後方(画像②)に見える山が田上山、秀吉の弟の小一郎、秀長が陣を張った場所です(田上山砦)。
話の中で分かったのですが、こちらの正覚寺さんは無住職のお寺だそうです。
立派な本堂に山門、それでも住職が居ないなど到底信じられないことでした。
そこでさらに会話が進んで
①田舎の現実は厳しい。住職のなり手が居ない。
②今時寺の経営は厳しく、2~3ケ寺の兼務掛持ちは当たり前。
③真宗以外の宗派で、住職がスティックしている寺は約70%?。
④真宗は血縁で寺を相続するのでその率は他宗より高く兼務寺院は少ない。
といった雑談を交わしました。
一番困ることが、何より本堂等の維持だそうです。
本堂はデカいばかりで放っておけばドンドン朽ちてしまいます。
瓦の葺き替えさえも最近では資金難でやりたくても出来ないとのこと。瓦の修理が出来ないと後が酷いですからねぇ。
真宗寺院でも過疎地で檀家さん不足に困っているお寺はたくさん目にしてきました。
これは由々しきテーマですが、その手の話になった時つくづく私が恵まれていることを深く想い起こします。
嫌な言い回しですが寺としていかに「生き残るか」、これから大変な時代に突入していく予感がします。
柴田勝家はこの地から敗走し、越前北ノ庄城で自害。
勝家だけでなく信長の妹、お市も儚き夢とともに滅亡の道を歩みます。
寺の存続も戦国の世と同じかも知れません。
時節はちょうど初夏の侯。
辞世には私の好きな鳥「ほととぎす」が詠まれています。
「夏の夜の 夢路はかなき 後の名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」
信長臣下筆頭ですから当然でしょうが一向宗門徒には厳しく対応した人でした。
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たいち (月曜日, 28 7月 2014 23:20)
黒田家御廟所を見学した後、隣接している「正覚寺」に立ち寄りました。立派な寺社にもかかわらず、説明書もなく、サイトで検索しても詳細が見つかりませんでした。「響流山」で検索して、こちらに辿り着いた次第です。私のブログにリンクさせていただきます。
今井一光 (月曜日, 28 7月 2014 23:34)
ありがとうございます。
よりよきご縁が広まりますよう。