当流梵鐘の銘はまずコレ。
「正覚(しょうがく)大音(だいおん) 響流(こうる)十方(じっぽう)」と読みます。「六字の名号」の裏側に。
あの津波で流された陸前高田、本稱寺さんの、泥中より掘り出された梵鐘にもその言葉が記されていました。
毎年3.11のあの時間にその鐘を撞いて、法要のお勤めがなされる仙台教区の「勿忘(わすれな)の鐘」という「衆会」(しゅうえ)に発展しています。当山も来年は梵鐘を撞こうと思っています。
この二句は浄土真宗や浄土宗の坊さんでしたら、まず耳に馴染んだものですね。
浄土三部経のうち一番長い『仏説無量寿経』(大経)の中に出てきます。この長めのお経の中の「嘆仏偈」(讃仏偈)という偈文です。
詳細は名古屋教区30組のサイトに解説されていますのでそちらをご覧ください。
「大無量寿経を読誦したつもり」で「嘆仏偈」を拝読させていただきます。そもそも「嘆仏偈」や「三誓偈」(重誓偈・・・こちらも仏説無量寿経より→名古屋教区30組)
はお経に比べても短いので法要後の墓前等での拝読としています。(「正信偈」は御内佛か本堂にて)
「手抜き」とのご指摘もありましょうが、「長ければイイ」というのは過去の世界。
確か爺様(13代目)の時代となると「浄土三部経+正信偈」だった形跡が残っています。それはそれで良かったのですね。
私も一時は『観無量寿経』(観経)を法要で拝読しましたが、「少々長い」という意見もあって「三部」のうち一番短い『阿弥陀経』(小経)ばかりになりました。
「嘆仏偈」は四字八十句の構成で、真宗の代表的墓標「南無阿弥陀仏」「倶會一處、倶会一処」「骨塔」以外の言葉を探す出典先として使われています。
当山では「心悦清浄」(しんねしょうじょう)や「快楽安穏」(けらくあんのん) の墓標がありますが、施主の思い入れの様なものを感じます。
画像は当山の梵鐘。昭和30年の再建です(金属類回収令)。
よく見ると細かい字で「三誓偈」が記されています。
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