お参りと城址散策が同時にできてしまうのが名古屋東別院。
古渡城は織田信長の父、織田信秀により信長の生まれた年に築城され、元服(13歳)した城と云われていますので信長が少年時代を過ごした城です。
今は信長が忌み嫌ってさんざんに痛めつけた本願寺(お東)の別院が建っているのは少々皮肉。
織田信秀は謀略によって今川氏豊から那古野城を奪い取ったあと、信長をその那古野城に入れて、信秀本人がこちら古渡城に入ってその拠点としています。
信秀系織田家の主城だったわけです。
築城14年目に清州にあった尾張守護代の織田信友の手で城下は焼き払われてしまい、平城の脆弱性を思い知ったのか、末森城を建ててそちらに引っ越しました。
それでも周囲は二重の堀に巡らされていた城で、城の縄張りまでの侵攻は防げたようです。
平城の宿命でもありますが現在は東別院の堂塔の建立で城・堀の面影はありません。僅かに別院近くの下茶屋公園に若干の「高低差」を感じることができました。
尚、下茶屋公園に立つ名古屋市の看板には幕末に記された「尾張名所図会」の「東本願寺 掛所」に「古渡古城天守臺(だい)址」とあるとの記述。
「天守」のイメージだとつい「天守閣」を考えてしまいますが、ここでは「櫓が巡った主郭」のあった場所くらいに考えればいいかと。
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