その名は「花岳山月光院 城源寺」(浄土宗 古林肇道住職)。
「城源」の通り、現在ある小田原城の「二つ前あたり?」にあった城がこちらだったのかも知れません
(小田原城の位置的変遷)。
山号と院号の二つが寺院名に冠していて、私は他の例を知りません。城の名は「花岳(かがく)城」。そのお城の名「花岳」がお寺の山号になっています。
地理的には丘陵地の窪地という感じ、小田原駅から北の上り道へ上がりきってトップから下り始めたスグ左側です。
私の知りうる限りこのような地形での城址は他にありません。丘に囲まれた窪地の中にある城ですから。
場所は先日記した谷津の御鐘ノ台 丹羽病院前の道路を隔てた西側付近になります(場所はここ)。
お寺(城址)方向への出入りは道路から少々きついスロープを下りて細い道を右に進みます。入る時よりも道に出る方が難儀しますのでご注意を。
花岳城は、伊勢宗瑞(新九郎、盛時。後に北条早雲)が大森氏から略奪した「小田原城」だったと推測されています。
大森氏についての資料があまり伝承されていないせいか、詳細はわかりません。
城源寺さんの寺史によれば創建は鎌倉末期、城は駿東(郡)より進出した大森信濃守頼顕によって築かれたとあります。
そののち大森藤頼の代に伊勢宗瑞の騙し討ちにあって大森家は小田原から追い払われ、以降伊勢家(二代目より北条に改)が五代にわたって小田原から関東を治めることになりました。
小田原に住んでいる人でもこの「花岳城」について知っている人は少ないでしょう。
「花岳」の「花」とは梅の事ですね。
この地は古来より早春には梅が咲き乱れていたと。
現在は小田原といえば曽我の梅林があまりにも有名ですが、一昔前までは「小田原梅園」とも呼ばれたそうです。
やはり駅の近くということもあって宅地化が進んだ姿でしょう。
近隣には城源寺さんご住職が片手間で経営しているレストラン「花岳」があります。もしかするとお昼頃、ご住職にお会いできるかも知れません。
ご住職は「二足の草鞋」と仰っていましたが(今はお寺が主)以前は新聞記者で、しばらく記者と住職を兼ねていた時代があったとのこと。
よって人脈は超豊富、政治・社会に常に問題意識と気概を持ち多方面に渡って見識の深い方です(著書 「如是我聞」)。
御鐘の台の西側に墓地があって入口には閻魔さんがお待ちしています。テーマは「生きる」とのこと。
その墓地の近くにお食事処「花岳」があります。
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