黒田代官屋敷は城址と言ってもイイかも

菊川の黒田代官屋敷は大澤寺前身の本楽寺があった菊川段平尾や高田屋敷(場所はここ)より菊川に沿って南に行ったところにあります。高天神城からは真東にあたりますね。

 河川(菊川)の造った砂状平坦地で昔から水害や地震による液状化による倒壊等があったことが推測できます。

湿地系の平坦地は、案外防御性が高く、当初よりその「水」のリスクよりも(勿論そのことは加味して対応しますが)、堀の整備がしやすいという防御性と水利、交通を重要視して立地したものと思います。

 

こちらの黒田屋敷の主が当初こちらに定住したのは永禄といいますので450年前、私どもの御先祖さんが近江より平尾本楽寺に入ったのがその頃ですので当時の交流も推測できます。

勿論その当時は今川氏の勢力下であり、氏真以降高天神城小笠原長忠配下となり、開城後は徳川になって本多日向守代官として小笠の地を治めたたためこの屋敷は代官所となりました。

 

 屋敷といっても、戦国時代の面影をも残す堀と土塁は、スケールとしては小振りのものの「城址」といっても不思議が無いくらいです。

 

丁度今、梅まつりが開催されています。

現住居を兼ねた遺構で、尚見学無料、菊川市とお住まいの黒田様の太っ腹、感謝いたします。

お散歩にぶらっと梅の香を楽しむことのできるこの季節、捨てたものではありません。