女子供も大人たちに混ざって籠城し、首化粧をしたり、鉄砲の弾を鋳造するなどの戦に不随する作業をこなして、時として大人たちと滅亡を共にするのです。
おあむさんの時代の子供たち、ラクでは無かったですね。
まぁ昭和になってからの「15年戦争」と呼ばれる時代もそれと似たり寄ったり、その時々の国の指導者一味が勝手な威信とやらを持ち出して戦争をおっ始めることは、弱い者(女子供)たちに多くの難題を突きつけて無理強いさせることはどの時代も同じです。
先日記した
『今時の若衆ハ 衣類のものずき こゝろをつくし
金(こがね)をつひやし 食物にいろいろのこのみ事めされる 沙汰の限なことゝて・・・』
は400年前の彼女が齢を重ねた晩年に語った言葉ですが、では現代のこの様を見てどう仰るだろうかと考えてしまいます。
「それは時代が違うだろう」などと月並みな答えを出して済ましていられないような気がしてきました。
昔から皆その言葉でお茶を濁してきたような気がしますが、何かちょっと「やり過ぎ」の感も無くはないですね。
「あれも欲しいこれも欲しい」、「あれも便利これも便利」と「ラクちん」と「贅沢」ばかり追いかけてきた私たち、いったい行き着くところは何処でしょう。
彼女の物語の中、モノの無い時代を象徴するような記述にも目を惹きます。
「ひる飯など喰ふということハ 夢にもないこと」
ですからね。朝夕も米に色々なモノを混ぜ込んだ雑炊で栄養などの不十分は当然の事だったでしょう。
そういうワケで戦国物のドラマで腹の出た良く肥えた家人や雑兵・足軽が登場しますが、絶対にオカシイことですよね。
栄養が行き届いた今の健康そうな役者の採用はやはり真の時代考証がされていないということでしょう。
眼が浮き出ていつも腹を空かしたような役を演じられる人が正しい戦国時代のドラマかも。
さて、おあむさんの衣服の記述にも驚きです。
「衣類もなく、おれが十三の時、手作りのはなぞめの帷子(かたびら)一つあるほかには なかりし その一つの帷子を十七の年まで着たるによりて すねが出て 難儀にあった せめてすねのかくれるほどの帷子一つ ほしやと おもふた」
成長著しい13歳→17歳の5年間の一張羅、たった一つきりの帷子で過ごしたということです。帷子(かたびら)は片平とも。
今で言う麻製の浴衣(湯かたびら)のようなもの。裏が無くて殆ど夏用。汗取り、下着のようなものでしょう。
その下におあむさんが何を着たのか着なかったのか判りませんが、冬場などかなりの寒さではなかったのではないでしょうか。
何から何まで辛かったおあむさんに、愛おしさをも感じてしまいます。
画像は5分咲きの梅と春日権現絵巻の小袖。そして帷子に湯巻の図。
男は脛が出てもOKですが女子は脛の出る着物はいかにも可哀そう。
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