佐々木道誉(京極高氏)の城、勝楽寺城の登城口はお寺の境内地にあります。
そのお寺の名が「勝楽寺」ですが、すでにお気づきの方がいらっしゃると思いますが「正楽寺」という書き方も各所にあってどっちがホントかわかりません。
まぁ山門に「勝」の方が使われていますので6-4で「勝」の方かな?などと勝手に考えています。
この手の文字の違いはよくあることで、明治初期くらいまでは殆ど聞き書きにカナ、「しょうらくじ」で通じていたワケでどんな漢字をあてても大抵はOK!だったのです。
当地で言えば勝間田・勝又・勝亦・勝股・勝田と同じカツマタでもバリエーションが豊富ですし、河原﨑・川原崎などは最初の登録時に役場の受付で間違えたからといいます。また、カワハラサキと読んだりカワラサキと読んだり色々ですが、今の様に厳密になったのは明治、日清戦争以降日露戦争前頃だといいますね。
今は戸籍上完全にスティックされていますので「厳格さ」を問われますが、それ以前は「どうでもいいこと」だったのです。
戦争をおっ始めるのに兵隊の名を掌握することが必要ということ、下の名だけではいかにも具合が悪かったというとで苗字の名のりを徹底させたのです。
日清戦争時代は江戸時代の名残でその辺の所が適当で、人員や戦死者の把握等が無茶苦茶だったといいます。
その反省があって真剣にどこぞのどなたか、ハッキリさせる必要があったと。
ところが地名等の通称含めて上記のような緊急性が無いため昔からの「あて字」が使用続けられているのだと思います。
ただ、こちら「ショウ」の字に「勝」あるいは「正」の使用で二つにわかれています。いかにもお城の方が「勝」が似合いそうですが、それでも「正」を使っている看板もありました。
そもそも仏教経典に見られる、少なくとも我等浄土系、善導さんの往生礼讃にみられる「勝」などは「他者との勝ち敗け」を意味するものではなく、ただ単純に「すぐれている」という意味の方が強いですね(これは以前ブログで記しました)。
「正」も「すぐれて本当のこと」という意味合いがありますので、まず「勝」と意味は同一と考えられます。
要はどっちでもイイということですが・・・。
ちなみに「楽」、これもブログで記しましたが「平等」という意ですから、「正楽」も「勝楽」も為政者の領内へ触れるメッセージとしてはインパクトあったものであると感じます。
愛知川はさんでお向いの佐々木六角、観音寺城下での「楽市楽座」はあまりにも有名です。織田信長が六角氏を追っ払って繖山の端の安土城下で楽市を始めたのはその後です。
道誉は自分の城下に今風に言えば「希望を持って明るい将来を夢見る」如くの名を記したのでしょう。
この地は今「道誉の郷」と呼ぶそうです。
若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津の守護を兼務するまでに幕府中枢にあった道誉ですが、こちらの地に拘って本拠地としていました。道誉が足利尊氏の補佐に廻らず、天下を取ったとしたらこの地に幕府を開いたかも知れません。
勝楽寺さんには佐々木道誉のお墓があります。
経年による欠落があって痛々しい墓石ですが、風格ある武将のそれを感じますね。他にも歴史を感じる五輪塔群が登城口手前でお出迎えしてくれます。
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