丁度1年前に足を伸ばした鳥羽城他、九鬼嘉隆の首塚、胴塚のある答志島から向かった場所は今一つ伝わっている嘉隆の墓です。
答志島の[首と胴]の墓についてはしっかりとした歴史的事実に添った建碑の確証がありますのでこの答志島行脚で嘉隆墓参の主たる旨は完結している筈でしたが、伊勢門前の「買い食い」も兼ねてルート上にあるそのお墓を目指したのでした。
こちらに嘉隆の墓がある理由は嘉隆の三男の有慶という人が父嘉隆の菩提を弔うために金剛證寺に入って、第12世となったのを機に、父親の供養塔を建てたというところでしょう。
右も左もわからないまま「えっ?有料道路」と躊躇しつつも「伊勢志摩 スカイライン」へ。
目的の「朝熊(あさま)岳金剛證寺」(場所はここ)はこの有料道路を使わなければ余程のローカルさんでないと無理ですね。余計な出費でしたが突入した次第です。
金剛證寺さん周辺には変な看板が・・・「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と、このお寺をお伊勢参りとセットで参拝するのが通なのでしょうか。
また、このお寺「伊勢の鬼門」とも云われているそうです。
しかし私どもの目的は御本尊の虚空蔵菩薩ではなくて「奥の院」の墓場放浪。「現世利益」は意図していませんので私はこれに尽きます。
この奥の院は主たる仏閣のある場所よりも現在の展望台側の方向にズレています(伊勢から見れば「奥」)。
江戸時代あたりからこの地方で弔いがあった後に塔婆を建てて「岳参り」を行うという信仰が始まったそうで、現在も無数の塔婆と墓石が建っています。
「死者はどこへ行くか、・・・山に帰り我らを見守る」という土俗的な信仰(山中他界観)は古くから耳にしますがこちらでもその手の風習が残っているようです。
大小塔婆が立ち並ぶ姿も圧巻ですが、出迎える墓石群も見事でした。
①②③が九鬼嘉隆の五輪塔です。
宝篋印塔他江戸期の墓が多く見受けられました。陽が当たらない山蔭であり、薄暗く冷たい空気は、より「死者の地」「幽玄」を思わせる場所でもあります。
⑦は巨大な現代の塔婆群。大小さまざまなものが並びます。
大きさによって金額が違うとの事。
後になって気が付きましたが鳥羽からこの有料道路は案外伊勢に向かうには相当のショートカットだったと思います。
正攻法で正面から伊勢に向かうよりは時間短縮にもなりました。
どちらにしろお伊勢さんには素通りして行かなかったことはお知らせした通りです。
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