能ケ坂砦 高天神六砦

昨年の春、初めて土方酒造の春の宴に参加させていただき、そろそろ早1年。

その土井酒造近くを通る街道(掛川大須賀線)が高天神城へ北東方向から侵入するもので、家康はその街道を閉鎖するために関と砦を設けました(場所はここ)。

こちらが世にいう「高天神六砦」の一つ、「能ケ坂砦」です。

天正八年(1580)に家康の周到な包囲網(高天神城干殺し)のベース基地となりました。画像は街道筋に立つ看板です。

 

 地名としては「小貫」という場所から、やはりこの砦の通り「能ケ坂」の切通しの名が付けられているのだと思います。

「能ケ坂」はその名の通り段丘途上にあって街道は前方の山(ダルマ山)のために高天神に向かって左にカーブ、この辺りからは旧本樂寺(当山大澤寺の前身)があった段平尾方面や、足利持氏の三女、三の姫様がいらっしゃる八相寺さんのある北方面(掛川)からこの街道に入る(小貫交差点)兵糧や兵のチェックができました。

 

 ちなみに小貫周辺には佐束小、佐束幼稚園等、「佐束」名が見られますがこちらは足利持氏が、三の姫(ブログ墓-遠州)に付けた武将の名の一人です。苗字としてもこの地区に点在しています。

 

 能ケ坂、カーブがぶつかった山の中段に本砦、切り通しを抜けて左側に続く山並みが別郭。

こちらからの尾根上には武者走りが設けられ、火ヶ峰砦方面へ繋がっていたそうです。

 

結構車の往来があってカーブが近いので車両の駐停車にはご注意を。