名門小笠原氏の城 馬伏塚城

「馬伏塚」と書いて「まむしづか」。

勇ましくそして耳に聞こえる「カッコ良さ」は何か意味ありげで、そこのところが高天神城に次いで好きな城でもありますね。

城主も今川時代の小笠原家で、「小笠原」といえば信濃没落守護小笠原氏亜流なれど武家の名門です。

現代もその苗字は多く分かれて残っていますが、遠州にも散見出来て、まずはそちら、高天神崩れと言ってもいいかも知れません。相良近江屋山﨑家から出て牧之原に上がった薬舗の山﨑家の御婆さんは旧姓小笠原、高天神小笠原の流れと仰っていました。

 今川時代に西(斯波系)からの侵入の守りのために造られたと思われるその「馬伏塚」という名前を推察すれば、

①蝮と喩えられる強者が沢山籠ったということから字を充てたものか、②騎馬武者が伏兵として敵を待ち構えた等が考えられます。

しかしながら、この城跡、実際現場に行けば正直なところ拍子抜けでしょうね。前にも記しましたが山城に慣れている身にとっての平城ということもありますが、真っ平らに広がる平地にポツンと遺構が残っているだけのように感じ、攻め手としてもそう難儀は不要の様な気がします。

 実は馬伏塚城は田中城と同様に湿地帯に浮かぶ城だったのです。横須賀城の「乳母懐」の延長と思っていただければわかり易いかと思います。何より遠くから見ればよくある「円墳」状の姿で、神社が建つのみのように見えますが城の縄張りはここだけでは無く北側の了教寺さんのさらに奥まで続いていました。

今となっては住宅も建ち、ましてや道路まで貫通していますので、かつての城址を普通に通過するだけではなかなかわからないでしょう。

 

 場所は先般袋井「いのちやま」の新設を機に催された津波関係の資料を集めた催事で大澤寺の「地震記」の展示があった袋井市役所浅羽支所から北側スグです(場所はここ)。

駐車場はタップリありますし、こちらに車を停めて南側の資料館等も見て回れば最高のお散歩コースとなります。

 

⑦⑧は郭中央部分の残存丘陵部。私有地です。

⑨本曲輪から支所方向⑩支所階上より馬伏塚城方向。