それにしても今年の正月は穏やかな日が続きました。
まず大抵は年末年始の頃は低気圧の通過があって、大風が吹きまくってから海、山での遭難・事故がつき物だったような感がありました。
長い休みも終わり、まず着手することは、蘇鉄の伐採でした。
午前中は萩間のМ氏の山に行ってみかん狩り、そして一昨日から手掛けていた本堂前の蘇鉄を思いっきり切りました。
蘇鉄といえばこの辺りでは昨日ブログ小山城画像②の右端に見える「能満寺」さんを思い起こしますが今回は当山の蘇鉄のこと。
沖縄では「ソテツ地獄」という言葉があります。
大正から昭和に食べるものが無い時代、ソテツを加工して澱粉を作ったという歴史があります。
ただしソテツには毒性があって毒消しのテクニックが必要なのですが、何しろお腹が減っている故にその毒消しが省略しがちになって中毒者がまたぞろ発生したというものです。
以降味わった苦しい時代を「ソテツ地獄」と呼んだそうです。
こちらで言う「蘇鉄地獄」はそれとは違います。
さすがに現代日本人においてソテツやドングリを食べるほど窮している人はいないでしょう。
「地獄」はその伐採作業においてつき物のトゲの洗礼です。
蘇鉄はだいたい頭の部分から生える葉を3枚程度を残して切ってしまいますが、その葉を切る際、針の如く強烈に鋭利なトゲが待ち受けています。
厄介なのは手指に刺さって先端が肉の中で折れる事ですが、経験則からこれは皮手袋と軍手のダブルで対応します。
ただしこれでも「うまいこと」直角に入射した場合、嫌な感じで刺さります。
そもそも「蘇鉄地獄」という言葉は「奥の墓道」が言い出した言葉です。大抵は彼が帰省から横浜に帰る前日にその作業を手伝ってもらっていたからです。
今回はカメムシが大量に冬眠していて思わぬ「カメムシ地獄」(臭い臭い地獄)にも遭遇しました。
当方指4カ所、足の甲1か所の「針地獄」、うち2カ所は先端が「滞留」しています。埃も凄くて喉もやられました。地頭方処理場の金額は700円×2日と結構の量が出ました。
スッキリした蘇鉄の画像は広重の三河赤坂宿を参考に。
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