地元に居て、何の気なしに付近を通行したりトンネルを潜ったり、この「お城」が目に入ってくることが自然に感じるようになりました。
隣町の「天守閣」でお馴染みの小山砦、古城ファンにはボロクソですが、金谷の諏訪原城よりも湿地帯に浮かぶ台地先端に築かれたこちらのごく小さな砦の方が攻めづらく、家康が手をこまねいたというお話は以前記させていただきました。
家康にとって遠州における武田方各支城を支える兵糧のベース基地でもあった小山の砦は小さいくせに難攻不落、砦の存在に対する苛々もかなりのものだったでしょう。
そこのところ家康が砦の城将を抹殺することを画策し、砦に送り込んだといわれるのが「佐橋甚五郎」。
「三河の水の勢いも 小山が堰けば
つい折れる 凄じいのは 音ばかり」
満月の晩の酒宴で上記の歌を酔いにまかせて上機嫌で謳ったのは武田勝頼がこの砦に入れた「甘利四郎三郎」。
「この小山の城があれば家康の力など大したことはないよ」と勇ましいこと。
ここにどうしてうまく甘利に見込まれて若衆として入り込んだのかは判りませんが、家臣たちすべてが席をたった後、甘利の介抱として付いたのが、笛の興などもこなすクールな仕事人「佐橋甚五郎」でした。
甚五郎は家康に放たれた刺客でした。俊敏にして、鉄砲の腕前も遊興も抜きんでていたとのこと。
その晩、甚五郎は目的を達して甘利の首を持って浜松に帰ったというそのお話、森鴎外の「佐橋甚五郎」にサラッと描かれています。
ストーリーは他に主題(その後の甚五郎の逐電)がありますので小山の砦でのお話はそれだけです。
もっとも「佐橋甚五郎」は超短編小説。簡潔で全体も「サラ・・・」ですね。
青空文庫(著作権切れ)で公開されていますので、ご興味のある方はどうぞ。
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