藤枝市民の憩いの場、蓮華寺池公園の西側の山並みの尾根部分、南から北にかけてがお姫平~富士見平です。
地番としては池の北側とおなじ「若王子」(にゃくおうじ)。
こちらは総称「若王子古墳群」と呼ばれる4世紀末~5世紀頃の古墳23基(木棺直葬墳)と6世紀~7世紀頃の横穴式石室墳5基が並んで出てきた場所でもあります(副葬品等は郷土資料館)。まだ何処かに隠れているやも知れません。
足利義教御一行がこちらにて富士観覧を楽しんだといわれますが、それより遡ること1000年近く前に当地の支配者層の墓が作られていて、そのことを知ってか知らでか、その墓の上で義教の宴が催されたのでしょうか。
興味深いのが蓮華寺池や蓮生寺さんという極楽浄土を連想させる地の西方、その地と現世を結ぶ日没する山並みに墓地を求めるというところですね。
ただし寺は鎌倉初期の建立、池は人口の造成物で江戸初期に作られたものですから、甚だ時代は前後しています。
憎まれ口二題
また、ちなみにこの池の東側が静岡サッカーの凋落を象徴する「藤枝東高校」があります。
「凋落といっては可哀そう、全国レベルが上がった」のだという方もいらっしゃいましょうが、「うさぎとカメ」ではありませんが、他者が迫り来る中、池の畔で居眠りでもしていたというのでしょうか。
この件については「奥の墓道」とも話しました。
もしブログのタイトルだったら「昔の名前で出ています」にする、と言うと「それはやめとけ」と止められました。
地元系各紙では「よくやった」風が多く「反感を買うぞ」と。
しかしサッカーというゲームは「勝つこと」にこだわるものでしょう。日頃「勝」にこだわるべきでない、というのが坊主としての持論ですが、あくまでも体力鍛錬に成果は変わるものですがスポーツ・ゲームとして、負けて讃美の言葉を贈っていてはいつまでも慢心して「壁」を破れないのでは、と思うところです。
ビシッといってあげるのが本当の愛情ですね。
では私の思う所を少々、どこの高校生も、体が出来ていないのに「華麗なパスサッカー」(ブラジルサッカー)を追求しているように見えます。元は「静岡サッカーの十八番」だっわけですが、これは小さい中央のスペースでこちょこちょパス回しをしてあたかもラグビーのスクラムみたいですね。タテタテの意識見え見えです。
「縦は仏、横は人」の心で試合を紡いでいくのです。
大きく開いたウィングにオーバーラップそしてオープンへの展開と大きな横からのクロス。
「技術よりも走り重視」のフォーメーションが重要だと思いますがいかがでしょうか。
お経の「経」は経糸(たていと)、経糸の先にはゴールがあります。その経糸を紡ぐように横横と展開し「魂玉」を浄土(ゴール)へ導きます。
「自分が自分が」の心は捨てて「他者を生かす」心がチームワークの錦となります。
まあ初心にかえってやってくださいな。
昨日の朝の火事も酷かったですね。出火による多大な損失と動けずに長時間困り果てて酷い目に「遇った」40万人の方々には甚だ失礼ですが、あれも自慢の首都トーキョー様の脆弱さを露呈させていました。
有楽町という首都圏大動脈喉元での火事の発生によってあれほどの影響が出るということは信じられないことでしたね。
デモ隊をテロリストと仰られるほど敏感な方がおられましたが、「テロして効果あげるならココ」と、原発電源喪失メルトダウンに次いでその手の人たちが喜ぶ絶好のお手本を見せてしまったかもしれませんね。
いやはやお粗末なことでした。
これもブログに記したらタイトルは
「有楽町で遭いましょう」でしょうか、つくづくオヤジを感じます。
コメントをお書きください