当年正月二日に断念した真田城(一ノ宮城)には日をあらためて登城しました。
一ノ宮とは小国神社のことですがこの領地に鎌倉時代以降名を記す武藤氏があります。
当初の武藤氏は「吾妻鏡」に富士川の戦いの功で得た遠江の守護、安田義定の代理人として登場しているそうですが守護代、あるいは地頭としてこの地に任官されたと思われます。とにかく断片的情報しか無いためこちらの武藤家については謎が多いようです。
当家は小国神社の武家神主であったと云われ、戦国期に武藤刑部丞氏定という人が出ますが家康とは肌が合わなかったのか今川に見切りをつけた後は、早々に武田方ついて、結果この地を追われることとなりました。
この辺りで対家康の旗を掲げて武田の軍門に降れば家康に一掃されてやはり行く末は「高天神城」。
天正九年(1581)に高天神城落城時に討死しています。
さて、登城の方、「真田城」は小国神社に向かっていくと手前の右側にあります(このあたり)。
車両でも注意して走れば右側に標識があります。2台ギリギリで停められる程度の駐車場がありますね。その場所を過ぎてしまうと広い駐車場のお茶屋さんがあります。
比高も大したこと無く難なく登ることができます。
適当にかつての城跡を推測できそうな遺構があります。
例によって画像に収めても竹藪が写っているだけのよう。
先日お知らせしたカモシカはこちら山で見かけたものですが、山側の道と里の畑を仕切る電線はそれらの侵入を防ぐことが目的であることがわかります。
本曲輪らしき場所には現代人の施したであろう、おまじないのような意味不明な「変なもの」(④)が並んでいました。
あまり人の訪れないこういう場所には「個人的」崇拝物が設置されていることは間々あります。
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