少しだけ「輪」という字が躍った一日でした。
いつもアレは年末恒例ということで、そんな季節かと思わせる程度ですので「少しだけ」ですね。
よく考えてみれば世は浮かれて「五輪」「五輪」という言葉が飛び交っていいますが、この言葉は当ブログではお馴染みの「五輪の塔」でお墓のこと。
世界を構成する「地水火風空」の五つの基本的要件(「五大」―サンスクリットで「宇宙」)です。
ある意味人間の行為・存在=死・墓場に直結していますのであの「世界の祭典」がそう呼ばれることに異議はありません。
先般にも記させていただきましたようにその五輪招致の「ゲット~」に成功したあの伝説、「おカネを落しても戻ってくる」の元話は実は東京では無く近江商人の出世成功譚にあるのです。
ということで江戸時代の江州のお話ということになります。
近江商人の家には家訓というものがつきものですが一言で言って「しまつして きばる」ですね。
薄利において多くを売ることを心がけて商いすれば必然的にそのような形に成らざるを得なかったのでしょうが、その姿を踏襲することによって【売り手よし】【買い手よし】【世間よし】という『三方よし』という結果が付いて行ったのだと思います。その豪商として後世名を為した「近江商人」の系統ですが、彼らは最初から豪商であったわけでは勿論無かったですね。天秤棒1本から地道に努力を重ねて商売を興していった歴史があります。
さて、松居久次郎は現在の安土城の近く、近江八幡は五個荘(場所はここ)の農家に生を受けます。450年前の当家開祖、権七の生活行動範囲でもあります。
そこでの彼のエピソードに「夢告」というアイテムが加わって人生のターニングポイントを示唆しているのはいかにも真宗風。
その様に決めつけるのは現在でこそ宗派の広がりはありますが、当地域は蓮如上人以来の真宗興隆の地盤であり、今でも真宗寺院(特にこの辺りは圧倒的にお東が多いです)がたくさんありますね(ただし久次郎の夢にでてきたのは地元の氏神でした)。
働き者の久次郎なれど農家の仕事だけでは家族を食べさすにも窮する事に将来を案じていました。ここに家族を置き、将来の出世を夢見て江戸にて奉公先を見つけるという一大決心をしたということです。
ところが出立の前夜、「江戸に出ることはダメ!!村に残って農業を続け、その合間に地元産品を商え」という夢告が。という経緯もあって江戸行は中止にして村で仕事に励みました。その年の秋に収穫された籾1俵を銭一貫に替えて、その金で編笠を求めて商いしようと野洲郡小堤(場所はここ)を歩いていると73両入りの財布を拾います。
落とし主に判るようにと天秤棒の先に財布を括りつけて歩けぱ慌てながらやってきた落とし主の坊さんが現われます。
坊さんは「仏の加護」と大いに喜んで10両をお礼として出しますが久次郎は「拾った財布を落とし主に還す事は当然のこと。よって礼金など不要」と一切を固辞して別れたそうです。
この件は人づてに伝わって行き正直と勤勉、そして質素で倹約こそが「近江商人」であるというイメージを全国に広げました。
10両の礼金を固辞することによって、より多くのまた、本当の信用そして他の多くの人たちから見た実直の姿を得ることができたという美談です。
東京で財布を落としたある外国人記者が言っていましたね。
現金が抜かれたあとのキャッシュカードと身分証明書入りの財布は返ってきたが・・・と。
画像は五個荘のある近江最古の大型五輪塔(「金堂・馬場の五輪塔」)。正安二年(1300)の銘。てんびんの里の石標と天秤棒を担ぐ久次郎。
「近江商人」の思想を引き継ぐ豪商、企業群各社、今節「世界」をまたにかけて活躍しております。
まぁそれは特殊例として、我等はその精神を忘れずに、「近江人」の気概を持って生きて行きたいですね。
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