豊国神社は当然の如く秀吉に縁のある場所にあります。
主に活動した大坂(大阪城)、死後葬られた京都東山、生地の尾張名古屋、前田家領の加賀、そして浅井氏の小谷城を攻略した褒美として得た北近江の長浜(6/27 8/4)です。
城持ち大名の道を歩み始めた天下の出世人秀吉は地元商人にも人気があって、江戸徳川の頃「豊国」が廃されて一旦は社屋までも廃されてしまい、その名を呼ぶことも憚られていた時代もありましたが表向き「恵比寿神」として密かにその御神体?を継承し続けて徳川幕府崩壊―明治維新を期に復活しています。
どちらの「豊国」も同様の経緯を経て現在に至っていますね。
名古屋の豊国も加藤清正等秀吉が可愛がった家臣を祭神としていますがこちらも同様、木村重成も一緒です。
神社は長浜駅のスグ近く、観光客の多い通りの駐車場のお城寄りにあります。お城へはこの先のガードを潜って向かいますがその途中の駅前通りの延長にあります(場所はここ)。
③の石碑はその駅前の通り上にありますが、鶴賀市疋田(場所はこの辺り)からこちらに運ばれてきた「豊公いのち石」と呼ばれているものです。
信長・秀吉の最大のピンチ、特に秀吉が負戦の殿(しんがり)を任された金ケ崎城(1 2)の退き口の際この石の裏に隠れて一夜を過ごしたと云われています。
この石にはこちらの神社にも縁があると云われる竹中半兵衛の歌が刻まれています。
~掲示板より~
「きみがよも わがよも ともに ながはまの
まさごのかずの つきやらぬまで」
豊鑑巻一 長濱真砂 (郡書類従所載)
下の画像は「鎌刃の泉様」からの新着です。
彦根城と佐和山城の間、中央に鎌刃城の図。
①を撮影した場所が②だそうです。①の真逆の方向、鎌刃城からの図ですが、奥中央の9階建て、彦根市民病院(場所はここ)からのものだそうです。ありがとうございました。
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