本日朝6時の晨朝(じんじょう)から始まって1030分の日中法要、11時から今回のメインとなるお楽しみ、小和田先生による地元の戦国史についてのお話があります。
「歴史から先達の偉業を学び宗祖の苦難も偲ぶ」などとこじつければ理由は色々ですが、こちらが今回の当山の報恩講です。
牧之原市教育委員会の松下氏もレジュメ印刷等、ご協力いただいてとても感謝しています。
楽市も始まってみなくてはまったくわからないドキドキわくわくものではありますが、「何とかなるだろう」とたかをくくっています。
何故なら天気予報は晴れだから。
やはりお天気の「晴れ=ハレ」の日は縁起がいいものです。
戦場で縁起を担ぐ意味合いから本陣を幕で囲うことはドラマでもよく目にしているところです。
有職故実(ゆうそくこじつ)という古来からの常識と思われていることの一つで、幕囲いは主におまじない的要素が強いものでした。
幕串という洗濯棒のような先端がV型に加工された棒を野外に突き刺して並べて、そちらに紐の通された幕を懸けて外部との遮蔽空間をつくりました。
それを陣と呼びますが、当山本堂などでも御内陣を仏世界、外陣を娑婆世界としてその様に呼んでいます。
外部(邪なるもの)から聖なるものを囲い込み、護るという考えですね。
私がこれを思うに、桶狭間で今川義元が織田信長の奇襲を受けたように、却ってこのような習慣が奇襲探索の目標となり、相手に容易く発見されてしまい、結果不都合なことに陥るような気がしてなりません。
邪気を払うどころか呼び寄せてしまっているようなものです。
やはり陣に幕を張る事は当時の流儀でしたのでそこの所は外せなかったのでしょうね。
画像は報恩講「逮夜」の本堂正面と門前。
幕は「五七桐」に提灯は「牡丹」の紋です。
この幕は大きくてやたらと長く、陣幕として使えるくらいです。
この位の大きさとなると大人一人が担いでいくのに相当の難儀を強いられます。これに幕串担ぎが付属すると思いますがこれも無数の幕串を背負っての移動や戦いとなってさぞかし苦しいものがあったでしょうね。
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