くだらないどうでもいいような私のイメージを・・・
当山の「大澤寺」などという名称は当地相良大沢の地名ですから、標記の推定などまったくあり得ないというところです。
当山と同様に地名やら、宗旨変更によって真宗風では無いものもありますので一概にはいえませんが、真宗系の寺院名称は案外やはり「真宗らしい」と思わせたり、真宗経典に因んだ名称が使用されていることが多いようです。
たとえばざっと考えるに「西」「正」「浄」「願」「念」「蓮」「照」「明」「光」・・・などですね。
一方禅宗系だと自然世界の「海」「泉」「雲」「石」「宝」「金」・・ちなみに日蓮宗系は「妙」でした。
また特に「そうかな?」と思うのが時宗の「光」という字です。「光」は浄土系の寺であることはまずピンと来ますが特に時宗系を第一に考えます。
これは時宗総本山遊行寺の正式名称が「無量光院清浄光寺」と「光」が二つも入っているのですから・・・
要はこの「光」は阿弥陀如来の作用(48の光)のことでしょうし、そもそもそのお寺の名称「無量光」も「清浄光」も阿弥陀如来の別名ですね。
阿弥陀仏一向であるという点は真宗とまったく変わる所が無いのですが宗旨的にどう違うかといえば、当浄土真宗の教えは一言で言って「阿弥陀如来を介した人間親鸞の教義」でしょうか。そうです真宗は「人間(哲学者)親鸞聖人一向の宗旨」でありました。
さて、親鸞聖人が記された御和讃、真宗御門徒の中でも一番著名な、三帖和讃の1つ「浄土和讃」、当山「正信偈」拝読のあとにあげられる六首を記します。
阿弥陀如来とその効果、しっかりと「光」の文字が光っています。
「讃阿弥陀仏偈和讃」より。
★弥陀成仏のこのかたは いまに十劫をへたまへり 法身の光輪きはもなく 世の盲冥をてらすなり
★智慧の光明はかりなし 有量の諸相ことごとく 光暁かぶらぬものはなし 真実明に帰命せよ
★解脱の光輪きはもなし 光触かぶるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ
★光雲無碍如虚空 一切の有碍にさはりなし 光沢かぶらぬものぞなき 難思議を帰命せよ
★清浄光明ならびなし 遇斯光のゆゑなれば 一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ
★仏光照曜最第一 光炎王仏となづけたり 三塗の黒闇ひらくなり 大応供を帰命せよ
画像は当山阿弥陀如来。
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