まごまご、そうこうしているうちに季節ははや「霜降」(23日)。こんな時期に台風連発なんて・・・。
台風の連チャンを予測して先の直台風から本堂雨戸等殆どそのまんまでしたが、何とか直コースから反れてくれそうな雰囲気で少々安堵。ああよかった・・・・。
人間少しばかりやるべきことがうまくいくようになって、余裕などでてきて小金がついてくるようになるといよいよ増長、お調子にのってチャラチャラ、挙句失敗するといった構図は、世間では良く聞く話ではあります。
私も忌野清志郎(RCサクセション)の「いい事ばかりはありゃしない」の歌詞
「いい事ばかりで 笑ってりゃ 裏目裏目で 泣きっ面」
「忘れた頃に ヘマをして ついてないぜと 苦笑い」の箇所は、好きなフレーズで妙に納得してしまうというところは、どこかしらそんな感じの事々の顛末は世間の皆様方と同じだということでしょうね。
「泣きっ面や苦笑い」の連続であったとしても何とか命さえあってやり過ごすことができたとすれば、次に繋げることができましょう。
しかしそれら失敗なのかヘマなのかはたまた人生浮沈の「沈」の部分がたまたまローテーションでやってきたのかは判りようがないですが、それが致命的なものとなることは恐ろしいことですね。
「雑兵物語」の「持槍担」の段には色々なヘマや失敗で危うい目に遭ったことが記されていますが、何とか相手の首をとることができて自分の首が繋がったことを喜ぶ場面があります。
その敵の乗る馬が目から血を流してフラフラで歩いていてきた時の事ですが、実を言うとその敵の持つ槍の鉤の部分が自らの乗る馬の目を刺してしまった挙句のことだったと。
世間では宝蔵院流槍術が伝播して直槍から色々な鉤の付いた槍が流行りものとなってこぞってそれを導入といいますが、それらの複雑な出っ張りのある槍、便利な場合もあれば場所状況によってはこういうヘマをやらかして終いには命を落とすような結果になってしまうということは、やはり皮肉の如くあることです。
また、槍や刀に金銀の装飾を施したものが流行るようになると、油断をすれば味方に盗られたり殺されて奪われるといったことに繫がるので、古い人ほど皆そのこと、無駄な飾りについては「良くない」こととして語っているとのこと。
大将の位置を味方に知らせるために「馬印」や「纏」がありますが、槍の鞘を大型化して派手に装飾しその代わりにするといった風潮に有ることを嫌っています。
そもそも槍は戦いの時に鞘を外しますので印にならないということと、大将の槍担雑兵がその大きな鞘を担いで戦働きするというハンデが生じるということです。
シンプルで素っ気ない鞘がおすすめとのこと。
画像は「雑兵物語」かもよしひさ 挿絵より
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