生前に我が手で造る我が墓碑 若冲「寿蔵」

昨日に続き、こちら相国寺境内の墓地。

亡くなる前に予め自身の墓碑を建立しておくスタイルを寿蔵と言います。

人間生れ出でて、「さあ、時間ですよ」と御呼びが掛かったら人生という席を立っていくことは当然のことですので前もって自分の墓を建碑しておくのは、より「命の重大性」と一所懸命さを我が身に言い聞かせ、また仏教的諦観とともに「それまで」を歩んでいこうという覚悟をあらためて思うシンボルとその外部への表明としてプラス思考の行為だと思います。

「余裕の閑人の独りよがり」とも多くには理解され難いところと思われるかも知れませんが、身の始末をここまで慮って生きるということは、「そのあとのこと」に関わる遺れる者たちへの配慮でもありましょう。

 

 伊藤若冲は江戸中期に活躍した京都の絵師ですね。

私たちが京都上山には必ず出向く錦市場の青物問屋「枡屋」(現在はありません)の倅です。

おカネには不自由は無かったでしょうが、当時その手の人たちか陥りがちになって身代を潰してしまうお大尽遊びや飲酒の習慣は無かったとのこと。

好きな絵の世界に生きるため早々に隠居してしまったそうで死没は85歳。臨済相国寺の僧と昵懇にしてこちらに建碑したそうです。

 

 しかし実際は相国寺の墓ではなく自宅のあった現伏見区の黄檗宗石峰寺(場所はここ)に葬られたとのこと。

石峯寺にも若冲の絵が寄贈されていたそうですが明治期の廃仏毀釈の嵐の中、寺から散逸してしまったことは悔やまれます。

今はたくさんの作品が各地の博物館にてお目にかかることができます。