昨日の大政に続き大きい人を。
子供(ゲーム達者の若人)たちの知っている顕如さんのイメージがよく出ている画像です。~ 石川県立歴史博物館蔵~
元亀元年七月二十七日とあります。
戦国ゲーム各種ある中、殆どのそのゲームの活劇の中で顕如とその子教如は坊さんのくせに、数珠は忘れませんが刀をさして鎧具足の姿で戦闘に参加しているかの如く演出されているようですね。
真宗学者や本山に近い真宗僧侶に於いて、やはり宗教者感覚としてはどうかというところからか、胸を張って喧伝すべきこととは考えなかったようで、それほど重要視されるどころかむしろ意図的に無視されて表に出てこない画像のような気がします。
歌舞伎役者や現代風のアニメチックではありますね。
後世作られた(1700年代)一種の「お遊び」の如くのものだと解釈されていた一面もあるかと思います。
他にたくさん残る顕如さんの僧形の肖像画とはまったく違って見えますね。
顔も体格も相当デカい。
あの勇猛で知られる長尾景虎(上杉謙信)にも似た面構え、謙信画像の装束からいえば余程謙信の方が坊さんらしいものがあります。
「おふざけ」といえばそれまでですが朱色の衣に鎧縅も強烈なインパクトがあります。ちなみに朱色の衣は今でも殆ど御門主あたりしか着用できないのかと(私ごとき者は墨袈裟で十分です・・・)。とにかく恰好良すぎで唸ってしまいます。
まぁこれより、あの憎っくき信長に「門徒の意地 一泡吹かさん」というところの雰囲気が良く出ています。
象徴的なものですが、信長と手切れとなって寺院単位のグループ(惣坊主衆中)や侍大将クラス(惣門徒中)一同を前に宗門全体で反信長の旗を掲げて徹底抗戦の檄をとばす軍議の様子でしょう。
石山本願寺での一コマです。
気になったのは六字(南無阿弥陀仏)の左右の十字名号と九字名号が今の御内佛の配置と逆ですね。
顕如さんの左爪先あたりに今井権七の名も見えます。
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