掛川の中心部にある龍華院(りゅうげいん)は元の掛川城にあります。通称掛川古城(場所はここ)。
「元の」ということは今ピカピカの天守閣が建っている場所とは違うということですね(小笠山砦から見た掛川城)。
今川家古参の朝比奈泰煕(あさひなやすひろ)が築城しました。
塩買坂で討たれた今川義忠の命と云わりますので当時鍔迫り合いをしていた斯波氏を意識した城。天王山という小山(子角山~ねずみやま)にあったため天王山城とも呼ばれました。
築城は1400年代後半ですが永正九年(1513)頃に今の掛川城のある龍頭山に新しく築城して本城とし、こちらの旧城をその防衛の小丸として機能させていたと思います。
永禄11年(1568)に武田勢に駿府を追われた今川氏真が掛川城に逃げ込みますが、気の毒にも遠州切り取りを目論んだ家康に多くの付城で包囲された挙句、最後にこの天王山も陥とされて、掛川城の喉元のこちらに家康の本陣を置いたとのこと。
地図上で見ると「生涯学習センター」近く国道1号沿いの消防署辺りから行けそうに見えますが登攀口(といっても簡単に上がれます)は南側の小学校グラウンド裏の小路からが正解です。
今の掛川城の北東方向になりますがごく近隣ですので散策にこちらへ足を伸ばすのが正当なお城行脚と思われます。
お奨めは小学校裏からの登攀路に土塁段丘らしき遺構①②も感じられますが(③は本曲輪西側手前の二の曲輪推定地)何と言っても本曲輪推定地のスグ東側に残る土塁と比較的大きな空堀④⑤ですね。空堀のあちら側も公園になっていますが別ルート。
⑥は帰り道、坂の中段から見た掛川城。⑦が本曲輪から見た小学校グラウンドと小笠山に連なる段丘。⑧が街中から見た天王山(子角山)。
名前は龍華院という寺の名称ですが管理者はどうなっているのでしょうか、謎です。
本曲輪跡には県指定の文化財が建っていますが・・・。
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