顔長30㎝ 身長180㎝ 教如さん400回忌

10年以上に及び信長に徹底抗戦しつつ本願寺滅亡の危機から逃れたと思いきや、秀吉からは横槍を入れられて本願寺継承者から外され、石田三成からは繰り返し命を狙われた「東本願寺」創始の教如上人には御開祖や、蓮如さんとは違った考えがありました。

といっても真宗の根本的な教え、理念はあくまで踏襲していますよ。

しかし戦国期を表する、今では「武将」(人を殺す・・)としての「教如」の姿ばかりがクローズアップされてしまいましたが、やはり一筋に僧侶(人を救う)として教えを流布するという立場とは微妙に違ってくることは言うまでも無いことです。やはり戦国期であり「守る」ためでもありました。

 

 信長に無理難題を突き付けられて、父顕如の制止にも関わらず戦闘態勢を緩めなかったことは結果的に東西分派という真宗の一大事案に関わってきましたね。

秀吉の命により教如さんに身を退かせた「本願寺留守職」を新たに指名したのがまさに石山本願寺で信長と戦闘中に生れた(天正五年 1577)准如さんでしたので教如さんとの年の差は19歳。弟といえどもほとんど親しみは感じなかったでしょう。ましてこの幼き者が後年自身の地位を脅かす存在になっていくことなど考えもしなかったでしょう。

 准如さんが生れた時の教如さん、今でいう19歳などは社会的に見て未成年のイメージで、今一つ認められないところがありますが、当時は違います。

教如さんは16歳ですでに朝倉義景の娘、三位殿と正式に結婚していますし、彼女とは既に10歳の時に婚儀が成立していました。

 18歳の時には「軍忠状」といわれる戦功を賞する書面を発給していますので本願寺後継者として存分に働いていたようですし周囲から認められていました。

この時期の様子は

「新門主(教如)は、御器量は群に勝れ、まだお若く血気も定まっていらっしゃらないのに武門を習い染めたまい、戦軍を頼みとして勝利を得ることをおぼしめした」(紫雲殿由縁記~京都金宝寺六十七世明専著)とあります。

 記録によれば顔の長さは30㎝、身長180㎝と。平均身長150㎝代の時代には大男ですね。いかにもパワフルな力量を感じさせます。

 

 そんな教如さんの生き方はあまりにも人間的であり、またその綱渡り的人生の道のりを幸運の元に引き寄せたものであって、その波乱万丈さを窺えば、坊さんであっても武将であったとしてもそれはそれで大いに面白い人生を送った人だったと思います。勿論開祖親鸞聖人から数えて12代目の法主(門主)であることは異論ないところですが・・・

 

東本願寺では教如上人四百回忌御正当法要が厳修されます。

 

<以下本山ご案内>

 

東本願寺を創立された教如上人は、宗祖親鸞聖人から賜った教えと仏法領を守ることにご生涯を尽くされ、慶長19(1614)年10月5日に57歳で亡くなられました。2013年は上人が亡くなられてから四百回忌の御正当年にあたります。

上人が命懸けで死守し、後に伝えようとされた仏法とは如何なる教えであったのか、この度の法縁を皆様と共に考える大切な「場」にさせていただきたいと念じております。

つきましては、有縁の方をお誘い合わせのうえ、ぜひ「教如上人四百回忌御正当法要」にご参拝くださいますようご案内申し上げます。

 

【日程】
10月4日(金)
13:00 真宗宗歌、内局挨拶、記念法話  約40分
14:00 教如上人四百回忌法要逮夜    約1時間   御文

10月5日(土)
07:00 教如上人四百回忌御正当法要晨朝 約1時間
御文
引き続き晨朝法話        約15分
09:00 真宗宗歌、内局挨拶、記念法話  約40分
10:00 教如上人四百回忌法要日中    約1時間
帰敬式
※日程は変更になる場合がございます

【問い合わせ先】本廟部・参拝接待所 075-371-9212(直通)