「八幡山」を冠とする城の名は全国多数あれど、今も街の名として残るこちらの近江八幡城(場所はここ)はその「八幡」の中で一番の城ですね。
勿論城下には八幡神社。何も情報を得ないでこの城を攻めようとすれば大概が神社の先にあるロープウェイを目指すでしょう。無料駐車場もあって気軽ですからね。
時間の節約と景観を楽しむのならそれでいいのですが、この日は晴天にも関わらず靄で覆われ、楽しみにしていた琵琶湖方面が殆ど確認できませんでした。
そもそもこのロープウエィの進む辺りは所謂「大手道」では無かったようです。ロープウェイの会社の方に聞いても的を得ない返答で面倒だったので乗っかってしまいました。
この城の築城は、信長が本能寺で討たれた直後、謎の炎上によって灰燼に帰した安土城の後継という意味合いが強いです。
よって新城下は安土城下からの移転がメインです。
秀吉の普請で当時豊臣家で売出し中の秀次が城主、秀吉からの子飼いの武将として秀次の宿老にあてがって近江という要衝を治めさせました。長浜の山内一豊はじめ中村一氏、田中吉政、一柳直末らの顔ぶれです。
秀次事件もあって、たった10年で廃城になっています。
秀次は清州城に転封したあと京極高次が入って城の躰を整えていきますが、秀次政務の為の聚楽第の破却と同時に廃城にされました。
岐阜の金華山もロープウェイがありましたがあの時は邪道であると使用しませんでした。やはり城攻めにそのようなものは不要です。なぜならば難なく本丸近くに上がっても、達成感もなければ道の配置、城の遺構など登城の楽しみが無くなってしまいますので。
城は安土城と同様で石垣の城のイメージは残っています。
ただし安土とは違って山並みが凹凸してまた、かなり急ですので幅広い「一本道」を作れなかったのかも知れません。
本丸跡に秀次の母、秀吉の姉の日秀が開基したといわれる瑞龍寺がありますが、これは昭和になってから移築されたものです。
このお寺の門の入り口から入ってまた90°の角度が本丸虎口です。画像宝篋印塔はそちらでした。
帰りの下りはルートが数本ある様でしたがロープウェイ駅側から降りる道を使用して秀次が実際に住んだと言われる居館探しに山中を彷徨いました。
琵琶湖の美しい景色はまたのお楽しみです。
コメントをお書きください