一昨日は鎌倉の真宗本願寺派の成福寺について記しました。
鎌倉成福寺九代宗全が「北条の故郷」伊豆に逃れた場所がこちらです。
寺の前身は天台あるいは真言系だったそうで、桓武平氏系、「伊豆介平時家」(鎌倉初代執権時政の祖父)が建てた持仏堂が大元、縁あって真宗(こちらは現大谷派)に改宗しています。
二度に渡る元寇による戦死者のための「全戦没者追弔会」が北条時宗によって施行された際、時宗の三子の北条正宗は本願寺二世の如信上人の直弟子となって伊豆北条村に成福寺を興し、1289年には両親の遺骨を鎌倉より分骨し墓を作って一族の菩提を弔ったそうです。
このお寺は元々城館状の作りであったようで堀や土塁の跡なども推測できます(場所はここ)。
国府三島に続く往時の幹線道、下田街道が門前を南北に走り、背後西側には狩野川が流れています。
小田原北条は伊勢盛時(北条早雲)以来の一向宗嫌いのイメージがしますが、執権北条家の出身地であるここの「北条」を名乗りとしているだけに、一向宗(浄土真宗)であってもこの成福寺は特別扱いしていたようです。
伊勢盛時の孫の北条氏康が永禄五年(1562)石山本願寺~石山合戦の始まる八年前~に向かう成福寺の僧への援助をした虎の朱印状がこのお寺に現存しているとのこと。
勿論こちらのご当家住職の苗字は北条さんです。
画像墓は⑥北条時宗⑦正宗の母⑧北条正宗⑨一族です。
⑩は小田原正栄堂の御菓子「虎朱印」。小田原北条氏公式文書を表す朱印ですが、イメージとして一番わかり易いものです。
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