牛久保という地はなかなか面白い場所ですね。
岡崎の教務所や三河別院等の帰り等に立ち寄ります。
城の遺構といえば「城跡」「城下」などと露骨な地名ぐらいですが、なだらかな宅地化した丘の裾は観光地化しているわけでも無く、休日にゆっくりと散策するにはもってこいの町です。
江戸時代の大名小名の「牧野」姓のうち関係の無さそうな「牧野」姓も有りますがその多くは牧野成時(しげとき 古白)らとの血縁がある「牧野グループ」発祥と云われています。
ここの元の地名の「牛窪」も牧野成時がこの地に入ったときに因んで改めたそうです。牛頭天王社前の窪地の伏せた牛が成時が通行する際に道を譲ったといういわれがあるとのこと。
牛久保関係の牧野家系統も成時(古白)時代より戦乱による討死、養子入り、領主今川家による廃嫡等重なってあまりハッキリしていないようです。
牛久保の住宅地の公園の一画に古白の孫にあたる成定の小さな廟があります(豊川市教育委員会)。
康成のお父さんですね。
今は住宅地街区で道路等が走っていますが当時は光輝院という寺の境内地であったそうです(場所はここ)。
長岡城主となった成定の孫、康成の子の忠成という人の孫で大垣城主、戸田采女正の妻となった人が1684年に作ったものがこの廟です(同教育委員会)。
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