8月15日の夕刻は相良仏教会が関わる第2回目の「灯ろう流し」。
お寺の方も窓口になってはいますが、これまで当山の受付、購入した方(燈籠500えん)は皆無です。
「何を書けばイイ?」と聞かれましたが「何でもどうぞ」と。
ちょっと不親切感ありましたかなぁ・・・?
寺を預かる坊さんである私でさえも「灯ろう流し」の「その意味」について聞かれれば「わからない」としか言いようも無いのが本音です。ただし「涼しげで美しい」ことは間違いないところです。
そのイベントに「意味」を考えても意味をなさないでしょうし、敢えて言えば真宗の教えに「故人はその時に限って現世に帰ってくるのではない」のであって、もっと極端なことをいえば「365日燈籠を流す」くらいの気持ちがあってもいいし、何もしなくて(ゼロ)もイイのであるという感じでしょうか。
もっともお寺にてその灯ろうを取次ぎしなくとも当日現場でいくらでも販売していますので簡単に手に入りますよ。
相良の町が久々に力(リキ)を入れ出しているイベントですので以上の様な私的興ざめな異見には一切触れず、仏教会のおつとめに張切って参加させていただいています。
ただし今回は所要が重なったため愚拙愚息の「インチキ副住職」に出ていただく予定です。
①画像が「みなと橋」(場所はここ)。
こちらより海側から灯ろうを流します。
この橋の山側から街中より流れ込んでいる細い「どぶ川」がありますが、こちらから相良城にひかれていた水路が田沼意次が仙台藩に石積みを手配して完成させた「仙台河岸」です。
当時の相良城の遺構としてしっかり目に見えるものはこれと相良小学校グラウンドの土塁くらいでしょうか。
今はあり得ないくらい小さなスケールとなって舟など、どうにも入って来れる様子はありませんが当時は千石船が萩間川まで入り、小舟に載せ替えられた物資がお城へこの水路から堀を通って運び込まれました。
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