日坂川坂屋 西郷従道の書は孫子の兵法

土日限定の公開日を狙って日坂宿の川坂屋さんに上がり込めば、多くの書たちが迎えてくれます。特に幕末から明治にかけて名をあげた人たちのものが多いようですが、有名人としてはこの人、西郷従道の衝立に記された書が目を惹きます。

おそらくここに投宿したこれぞと思う人たちに主が「何か書け」とこいねがって記させたものがこれらのコレクションなのでしょうが、筆と紙面を渡されて、スラスラっと「ハイどうぞ」という感じで気軽に書き記すというのが当時としては普通のことだったのでしょうね。

 

 西郷従道は薩摩藩の尊王攘夷派で討幕維新の立役者ですね。

兄貴の西郷隆盛が西南戦争で反旗を翻しても同調せずに中央に残りました。兄が逆賊として死したあとも薩摩軍閥の中心人物として明治期の国政に関与しました。

国民にとってのイイ悪いは別として軍人として日本の一番イイ時に自分のやりたいことが出来た人です。

 

さて、彼の書は、以前ブログで「正々堂々」の語源、「正正の旗をむかふる無く、堂堂の陣を撃つ無し」について記したことがありますが、

「以静待譁」=「静をもって譁()を待つ」という書はそちら「正々堂々」や武田家の旗印「風林火山」(もっとも武田家がその四字を使っていたという文書は残っていないそうです)と同じ「孫子の兵法」にある言葉です。

 

 古来より戦場に赴き軍を纏める軍師の教科書はこの孫子の兵法だったわけですが、日清・日露の戦争までは戦争における兵の基本的な考え方動かし方はやはりこの教科書を元にしていたのでしょうね。

 原本は「以静待譁」の前に「以治待乱」が対にあってこの2語の次にこれらは「心をコントロールするに必要なことである」と追記されています。

 

 「譁」とは「諠譁(けんか)」の「譁」ですので、ぎゃーぎゃー騒ぎ立てて罵り合うことです。要はこれから起こり得る大騒乱を控えていよいよ心は「静」を心掛けなければならないという戒めを書したものですね。

 

 

川坂屋は旅籠家業は明治維新とともに一旦廃業していますが、要人限定で宿を貸しています。

彼の当時の心境や立場に触れることが出来る書です。

最後に「戊子夏日 南浦漁者」と記されています。

戊子は干支で「つちのえね」。1888年明治21年の夏の揮毫、日清戦争明治28年の7年前のものです。中国由来の兵法で中国と対したのでした。

南浦は西郷の号。